FL27 初恋は音楽 13-8 ライブコンサート/カテリーナ・バレンテ

投稿者: | 2023年4月14日

カテリーナ・バレンテで思い出すのは「情熱の花」、そして、それを日本語で歌ったザ・ピーナッツです。年の離れたオリバーと好みが合うところが多いと感じていましたが、彼と私は10歳違いでした。もっと若いと思っていたので、少し驚きです。

 

目次紹介

“Music Was My First Love”
初恋は音楽

 

13-8. ライブコンサート/カテリーナ・バレンテ
  Live in Concert 

 

CATERINA VALENTE (*14.1.1931)

皆さんも覚えているかもしれませんが、以前に大規模な「土曜夜のバラエティ番組」がありました。番組は大きな予算をかけて、過去から現在までの偉大なスターたちとの契約を結んでいました。ドイツで最も偉大なショーの巨匠たちが次々登場し、ドイツと世界のエンターテインメントを完璧な一つの番組にし、家族全員で楽しめるものにしたのです。

トップ・フォーメーション・チームのパフォーマンスもよく行われ、非常にうまくいきました。そして、予算がかなり控えめなフォーメーションのために、次シーズンの音楽の資金を確保してくれていました。しかし、1970 年代から 90 年代初めまでにフォーメーションを踊った者には別の輝かしいことが起こりました。たとえば、ドイツ首相の特別なサマー・ガーデン・パーティーに招かれたのです。

 

その年の私たちのフォーメーションの音楽は、ジェームズ・ボンドとスリラーの曲のメドレーでした。(過去を振り返えると、色々、もっと上手くできたのではないかと思うことがあります。その年の音楽も、アレンジャーをワーナー・タウバー(Werner Tauber)、サウンド・エンジニアをロバート・メイルハウス(Robert Meilhaus)のコンビにして依頼することを思いついていたなら、間違いなくもっと良かったことでしょう!)

この夏のパーティーでは、さまざまなアトラクションがありました。素晴らしい食べ物と飲み物の豊富なセレクションに、二つの大きなステージでは幾つものパフォーマンスがありました。正直なところ、全部が良かったというわけではありませんでしたが。私は当時のドイツ首相ヘルムート・コール博士(Dr. Helmut Kohl)のすぐ後ろに列を作っていました。ヘルムート・コール博士は、ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー(Hans-Dietrich Genscher/(注)ヘルムート・コールと連立政権を組み、副首相兼外務大臣を務めた - ウィキペディアより)や他の同僚と共にドイツ再統一を可能にした人物です。読者の政治的関心がどこにあるかは別として、ドイツの歴史書をポジティブなニュースで埋め尽くした人物のすぐ傍にいるのは、とてもいい気分だったことは確かです! 普通の考えを持つ他の多くのドイツ人が言うように、ドイツには非常に暗い歴史のページがなくても良かったのです。)

 

午後 6 時、一人のアーティストのパフォーマンスが予定されていました。私は彼女がその夜、現れるとは思ってもいませんでした。なぜなら、このイベントのほぼ直前に股関節置換手術を受けていたからです。私はステージの右側に立っていたので、カーテン裏で2 人のボディーガードが文字通り彼女をステージに運ぶ様子を目撃していましたが、カーテンが開いたとき、二人のボディーガードの姿はなく、カテリーナ・バレンテが立っていました。

 

カテリーナ・バレンテはサーカス一家の娘でしたので、エンターテインメントのあらゆる面を身近に知っていました。 彼女はサーカス・アーティストであり、映画スター、タップ・ダンサーであり、様々な楽器を演奏し、ドイツの歌やジャズを歌い、南米音楽最高の外国人伝道者として数々の賞を受賞しました。 ドイツにおける彼女の純情娘時代は1950年代半ばで、彼女はソロとして、また、オーストリアで高く評価されていたエンターテイナーのピーター・アレクサンダー(Peter Alexander)と共に、銀幕のスターでした。

彼らは、特にドイツ聴衆のために曲を書いたり、国際的なヒット曲の歌詞をドイツ語に書き直したりしました。当然ながら 「Steig in das Traumboot der Liebe」(意味:愛の夢の船に乗れ)、「Tipitipitipso」(ティピティピティプソ)、「Ganz Paris traumt on der Liebe」(ドイツ語版「I love Paris」)、「Wo meine Sonne scheint」(太陽の島)などが彼女のオープニング曲となったので、私は微笑みながらその歴史的瞬間を楽しみました。彼女のアンコールでは、私は浮足立つほど感動しました。ヴィニシオ・デ・モラエスとバーデン・パウエル(Vinicio de Moraes and Baden Powell)が作った、雨の神様を歌ったブラジルの曲「Canto de Ossanha 」(カント・デ・オッサンハ)を歌ったからです。それは、彼女が得意とするあらゆることを表現できる曲なのでした。

 

 

彼女はポルトガル語で歌い、このナンバーの最後の1分間は、声だけで多くの楽器を模倣する有名なジャジーなスキャットを即興で披露しました。新しいヴァレンテ・ファンが誕生したのです!

すぐに、私は彼女のレコードやビデオを集め始めただけではありません。このブラジルのサンバ音楽をオスロ出身のラテン・ダンスの先生であるエスペン・サルバーグ(Espen Salberg)に持って行き、彼が感じるままに振り付けをしてもらいました。後に私たち二人はバレンテを見るために、大規模な夕べの催しにも行きました。そこでも彼女は”Canto de Ossanha”で締めくくりました。ニューヨークでは、彼女は定期的なゲストとして出演していますし、ラスベガスでは自分のショーも行いました。180 以上のテレビ・ショーに出演し、数多くのアーティストたちとの共演の中にはペリー・コモやディーン・マーティンがいました。

 


マイケル・ジャクソン ⬅  ➡ ディーン・マーティン