FL18 初恋は音楽 11-2 聖地からの叫び

投稿者: | 2023年2月10日

今回は「ドイツ・ダンススポーツ連盟の機関誌」に掲載された「イスラエル旅行記」に加え、2000年のフォーメーションのことなどが書かれています。幾つか文脈が掴みにくかった個所があり、翻訳が不自然になっているかも知れません。また、イスラエル旅行記は「聖書的な表現」ではなく普通の言葉遣いにしてあります。

 

目次紹介

“Music Was My First Love”
初恋は音楽

 

11-2 聖地からの叫び
A CRY FROM THE HOLY LAND

そして、すべての競技が終わりを迎えると、聖地から叫び声が聞こえてきました。 「見よ!あなたたちはイスラエルで踊るために選ばれたのです。あなたたちの心に灯が燈り、これからの日々が晴れ続けますように。」そして、すべての人に名誉が与えられると、そこには大きな喜びがありました。

私たちのダカット金貨を数えると、大きな嘆きと奇跡の呼びかけが起こりました。その叫びが摂政ヨハネス・ラウ(Johannes Rau)塔の最上部まで漂い登るとマナ(お金)が降り注ぎました。

古い経典を研究すると、聖地にたどり着くには多くの方法があります。砂漠をさまよう(40年)、ガレー船(40日)、空を飛ぶ(4時間)などです。私たちは再び奇跡を探しました。すると、アエロロイド航空会社は私たちに情を寄せ、私たちを痛みから解放してくださいました。

巡礼者全員がデュッセルドルフ空港に時間厳守で到着したとき、3つ目の奇跡が起こりました。すべての旅行鞄は厳重に調べられ、分解され、再び組み立てられた後、私たちは4番目の奇跡を経験しました。すべての中身が再び詰め込まれると、スーツケースは支障なく閉じることができました。空飛ぶからくりに乗ると、クルーに(機長の)フランク・ブランズ(by Frank Brands)氏が合流しました。これまで機内アナウンスにこれほど注目したことはありませんでした。

テルアビブのバスの中、初の公演に向け、女性たちは顔のペイントと髪の彫刻を、男性たちは散らばった荷物を集めてウォーミングアップを開始しました。さらにウォーミングアップを重ねた後、ガリラヤ(Galilee)最北端のカルミエル(Karmiel)に到着しました。「カルミエル・ダンス・フェスティバル」の開会式は円形劇場の35,000人(!)もの、飲み騒ぐ人々の前で行われました。

多数のフォーク・グループに加え、セルビア、アセルバイジャン、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、その他多くの国からきたダンスチームと出会いました。私たちが紹介されると、聴衆にざわめきが起こったので私たちの中に緊張が走りました。ドイツのチームが「彼らの」音楽を使って踊るのを、彼らはどのように反応するでしょう?  しかし、最初の数小節ですべての緊張は去りました。瞬く間に、ドイツのチームと聴衆がひとつになり、35,000人が一緒に歌い、手を叩き、踊り出したのです。あの瞬間の私たちの気持ちはどうやっても説明不可能です。

熱狂的なスタンディングオベーションを受けました。イスラエルの聴衆の温かなもてなしで、特にイスラエルとのつながりの重要性が浮き彫りされました。観衆の反応の凄さと明確なリクエストにより、私たちは閉幕セレモニーのハイライトとして再び出演することになったのでした。今度は40,000人が一つの輪となりました。それは私たちに決して消え去ることのない思い出となりました。

 


1994 WM Latein-Formation の中に”Israel”を見つけました。)

 

この「イスラエル」に続き、ワーナー・タウバーのアレンジで「ロシア」、「タンゴ・アルゼンチーノ」、「サーカス」などで多くの成功を収めました。因みにワーナー・タウバーは長年ヨーロッパ最大のサーカス「サーカス・クローネ(Circus Krone)」の音楽をアレンジしていましたので、私たちのサーカスを主題にした音楽をワーナーにお願いしたことは完璧な選択でした。

私が自信をもって革新的なフォーメーションの振り付けをするには、個人100%

幾つか見たシルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil )も欠かせません。シルク・ドゥ・ソレイユは劇場で行われるミュージカルと同じ様に構成されています。特定の音楽は、事前に振り付けられた特定の場面に使用されることになっています。パフォーマーはしばしばマスクやメイクで顔が分からない様にするため、伝統的なサーカスとは違いますが、ダンススポーツに匹敵するものでした。スキルにおいても、柔軟性、フィットネス、および身体教育においても、それまでのものよりも優れていることは間違いありません。

それであるにしても、シルク・ドドゥ・ソレイユでは、(あの「偉大なフーディーニ(Houdini)」や道化師のチャーリー・リヴェル(Charlie Rivel)などのようには)仮面の後ろにいる人間の個人的なパフォーマンスに繋げることはできません。それは、シルク・ドゥ・ソレイユのコンセプトにそぐわないからです。ブロードウェイと同じように、シルク・ドゥ・ソレイユも世界中のツアーを行っており、各パートに2人または3人の代役がいるからです。

一部のプログラムには、特定都市の特定建物のために特別に考案されたウォーターサーカスプログラム「0」があり、それはラスベガスのベラージオ・ホテルでしか見ることができません.

 

 

私たちは、振付師、ミュージシャン、照明やセットの装飾を担当する人々のクリエイティブな作品をパフォーマーを通して鑑賞できます。同じことが、私たちのダンススポーツで完璧に訓練された体で踊る多くのカップルにも当てはまります!残念ながら、私たちはそのような人々と個人的に会うことはありません。

 

ワーナー・タウバーはフォーメーション音楽の最後の仕事で、自分自身の記念碑を建てました! これはまた、本当の意味で、彼と私のクラッシックな協力でした。私はこの音楽でもう一つの夢を叶えました。それは、ラテンフォーメーションにクラシック音楽をつかったのです! この願いはフォーメーションを教え始めたときから、ずっと抱いていたものです。このことで、愛する父との長い会話を思い出しました。これまで、これを実現できなかったのは、チームのパフォーマンスをサポートするのに十分なリズミカルでパワフル、かつ、フォーメーション規定範囲内にあるクラシック音楽のバージョンを用意できなかったからでした。

この準備段階で、タイ系中国人のバイオリニスト、ヴァネッサ・メイ(Vanessa-Mae)を知りました。彼女は、自分流で現代的なスタイルでクラシックの曲を演奏し、特に若いリスナーに受け入れられていました。彼女の演奏リストには、バッハがオルガン様に作った有名な「トッカータとフーガ(Toccata and Fugue / BWV 525)」のロックバージョンがあり、リストのトップ10に入っていたのですから、バッハも驚いたに違いありません。

 

フォーメーション用に幾つかのメロディーをまとめた後、作曲家の生年月日順にしていくことを思いつきました。イントロは、アントニオ・ヴィヴァルディ (Antonio Vivaldi / 4.3.1678 – 28.7.1741) の「四季」の「夏」楽章の一部でした。メイン音楽の最初の部分は、ロックのトッカータとフーガだけにし、フーガのパートをフェードアウトして、弦楽器の有名なピチカート部へと変えていきました。当時、バッハのG線上のアリアのメロディーをバックに使っていたSweetboxのラップナンバー”Everything’s Gonna be Alright”がチャートに上がっていたのですが、これは振付師の私には美味しかったです!

 

一部のフォーメーションカップルには、すでにリズム感あるラップのボイスに合わせてサンバを踊ってもらいました。その間、他のダンサーは、アリアのメロディーに合わせて踊りました。しかし、このまろやかな音楽はよりルンバに向いていました。ルンバとサンバの関係は非常に明白で、サンバは2/4拍子で50 bpmで演奏されます。方や、ルンバは 4/4 拍子の25 bpm、つまり、サンバのちょうど半分の速さですから、この2つのダンスを組み合わせることは簡単です。理想的には隣り合わせで使うだけでなく、二つのダンスを同時に使うと際立って見えることは、音楽を勉強した教師には明白に分かることでしょう。それから、モーツァルトのトルコ行進曲(ピアノソナタ第11番イ長調KV331)の非常にジャズっぽいバージョンに移ります。

 

モーツァルトの作品はルートヴィッヒ・ケッヘルによって収集され、登録されました。モーツァルトのすべての作品にケッヘル番号(Kochelverzejchnjs)が振られたのです。類似のものとして、バッハの作品にはバッハ作品主題目録番号(BWV)なるものがすでにあり、モーツアルトの626作品に対し、1128の作品に付けられていました。モーツアルトは36歳までしか生きられませんでした。こうした目録のお陰で私たちは、CDでもLPでも知りたい作品をさっと探し出すことが出来ます。

 

この次は、ロンドンズ・トーク・オブ・ザ・タウンのライブ・コンサートで行われたカテリーナ・ヴァレンテ(Caterina Valente ボーカル)と弟のシルヴィオ・フランチェスコ(Silvio Francesco クラリネット)のデュエットでした。3番目の部分は、まだ適切なアイデアを探している最中だったので、1978年10月27日ひとまず置いておいて始まりました。そこは8小節のルンバの部分でした。音楽の最後の部分は、ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach / 20.6.1819 – 5.10.1880)の「地獄のオルフェ(天国と地獄)」の中の「カンカン」をジャイブとパソ・ドブレにアレンジしたものでした。最後に、ヴァネッサ・メイ(1978年10月27日生) が最初に作曲した一つのRed Hotを持ってきました。必要な音楽はすべて揃いましたが、ルンバの曲だけが足りません。このルンバはどのようなスタイルであるべきだったろう。シンプルでキャッチーなものがよいか、それとも、目立たないけどみんなが良く知っている、わずか8小節だけのもの? その時、私が何を求めていたか、あなたに分は分からないと思います。私自身も分かっていなかったのですから。

 

その時、息子のラファエルを身ごもって5カ月だった妻と私は休暇を取り、ザルツカンマーグート(Salzkammergut)地域のヴォルフガング湖(Wolfgangsee)にあるホテル「ホワイトホースイン」でリラックスすることにしました。この「ホワイトホースイン」は同名のオペレッタや、その映画版では世界的に有名なオーストリアのエンターテイナー、ペーター・アレクサンダー(Peter Alexander)がウエイターのレオポルドを演じた有名なホテルです。私自身のスケジュールが一杯でしたし、財布の中身の問題もあって、わずか1週間の滞在でしたが、見事にリラックスできました。

美しい森をのんびり散歩しているとき、私はふと立ち止まると、何気にちょっとしたメロディーを思いっきり口ずさみました。何度もです! 今は、妻と息子が私を許してくれていることを願っています。そう願います!

そして、私はその美しい旋律とそれに続く曲を頭の中で結びつけると、ぴったりフィットしました! 先に説明した年表に完全に従っていれば、モーツァルトに続く最も重要なハイライトのベートーベンを見過ごしていたことに気付いたことでしょう。私が狂ったように探し求めていたのは、ベートーベンの最も有名なピアノソナタ第8番、作品13、ハ短調「悲愴」の第2楽章、アダージョ・カンタービレ(Adagio Cantabile)でした。音楽愛好家にとって、このフォーメーション音楽は特別なものでした。.

 

私のすべての(フォーメーションの)音楽同様に、私はいつも、すべての楽器を多用途に使うことがとても重要だとわかりました。したがって、Classics 2000 (オリバーチームの名称)には、大規模な教会合唱団(予算のためシンセサイザーを使いましたが)、バッハのトランペット、ソプラノの声とスキャットのスタイルのカテリーナ・ヴァレンテやエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)の歌、そしてコンサートホールでのようなソロ・ピアノが入っています。

このように、この音楽はリスナーにとって、異なる多様なメロディーだけでなく、さまざまな楽器の使い方という点でも非常に興味深いものでした。次のシーズンの音楽は、車の運転中に聴きたくなるような曲にしたいと常に考えていました。この場合、ワーナー・タウバーへの注文は、典型的なダンス音楽に聞こえるようにすることではなく、数十年にわたるさまざまなスタイルの音楽の旅のように聞こえるようにしてもらうことでした。そのおかげで、私たちの音楽は他のすべての音楽とは (良くも悪くも)違ったものになったと思います。


2000 WM Latein-Formation の中から ”Israel” を切り出しました。)

 

ワーナー・タウバー (1934 – 2001) は2000年のクリスマスに電話をかけてきて、引退するのを楽しみにしていると話していました。彼は北ドイツに住む娘を定期的に訪問したりしてもっと人生を楽しみたいと考えていましが、思い通りにはならず、最愛の妻が癌で亡くなった後、後を追うようにして、やはり癌で2001年1月に亡くなりました。

彼は亡くなるほんの数日前、彼のとても特別な友人のロバート・メイルハウス(Robert Meilhaus)のレコーディング・スタジオに現れました。そこは、私たちが頻繁に私たちの音楽を録音したりミキシングしたりしたスタジオでしたが、そこに、ワーナーは個人的に別れを告げにきたのです。彼はスタジオの真ん中に座ってロバートに頼んだのは「オリーの最後の曲を掛けてくれ」でした。それがClassics 2000でした!  もちろん、私はそれを光栄に思いましたが、私も彼にこう返したいです。「親愛なるワーナー、あなたの音楽はどれも最高でした、テーマに応じて、あなたはいつも最高のものを作ってくれました」と。そしてわずか2年後、天才サウンド エンジニアのロバート・メイルハウスも癌で亡くなりました。

 

私は彼から、ミキシング中に全員の注意をひとつの楽器に集中させる方法を教えてもらいました。彼は他のボリュームを下げたのです! なんと論理的でしょう! 私がある楽器のグループを強調したいときは、他の似たような周波数を持つ楽器のボリュームをすべてダウンさせると、必要なサウンドを得ることができましたので、それに応じて振り付けを行いました。

もし聴衆に片手の動きだけに気づいてもらいたい場合は、他のすべてをできるだけ動かさないようにします。鏡の前で片手だけを前後に動かします。他はどこも動かさない様にすると、ほら、この話がみえるでしょ?

 

昔のフォーメーション選手権は、生バンでした。1975年まで、録音済みの音楽を使うことはありませんでした。なぜこれほど大きな違いが生じたのでしょうか。生演奏には特有の影響がでます。つまり、スピード変化が起こり得ますし、ひとつのダンスから次のダンスへの移行時に音楽の乱れが起きたり、リハーサルテープのテンポとは極端に違うリタルダンドにアッチェレランドだったり(注:だんだん遅くとだんだん速く)等々…!

また、生演奏はフォーメーションやセグエ競技会にとって大きなリスクでした。事前に録音された音楽は、例えどんなに良くなくてもリスクはありません。事前に録音された音楽には、規則性、テンポ、スピードの変化、効果などに信頼がおけます。録音した音楽は、それまで振付師になかったオプションを提供しました。例えば、通常のビッグバンドのラインナップにはない並外れた楽器の使用、リタルダンド、アッチェレランディ、あるダンスから次のダンスへの興味深い移行方法など。勿論、事前にテープに録音することにもそれなりの制限がありますが。フォーメーションで即興は全く望ましくないため、その可能性はすべて取り除かれます。最悪の生演奏はすべてのレコードを打ち負かすと、人々が話していた位です。この点は議論の余地がありますが、最小コンボでも3人のミュージシャンが調和して演奏する必要があります。一定速度が保たれなかったり、音の間違いがあったりすると演奏全体を台無しにします。その上、演目選択がひどい場合は、CDを使うことをお勧めします。

 


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