FL11 初恋は音楽 8-1. フレッド・アステアとジーン・ケリー

投稿者: | 2022年12月23日

「パフォーマーたち」には8人のタレントについて書かれていますが、今回は最初の2人の話を翻訳しました。余談ですがフレッド・アステアが契約書に入れた撮影条件は私が考えていることと同じだったので、「我が意を得たり」と嬉しくなりました。

 

目次紹介

“Music Was My First Love”
初恋は音楽

 

フレッド・アステア(FRED ASTAIRE)

フレッド・アステアはダンサーでしたので、私の彼に対する憧れは当然のことでした。でも、彼の魅力に惹かれたのはそれだけの理由ではありませんでした。彼は滅茶苦茶すごかったのです。例えば、非常に難しい動きを、いとも簡単に踊ってしまうのです! 彼が踊って行く先々に、椅子やテーブルが出てくるのですが、そこに登ったり下りたりしながら、当たり前のように踊ったのです。しかも、パートナーと!

彼のダンスシーンは常に重要なストーリーの一部になっているので、自動的に意味を成していました。また、初期の何本かの作品までは、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース(Ginger Rogers)のキスシーンは入っていません。二人の感情豊かなダンスが総てを物語っていたので、通俗的なラブシーンは必要なかったのです。フレッド・アステアがパートナーたちに触れるときの、あのエレガントな感じを思い出してください。彼のエレガントでもの柔らかな仕草。まさに完璧な紳士で、パートナーとなった女性たちは、親切な彼を褒めたたえていました! 同時に、フレッド・アステアは完璧主義の所がありましたので、例え10時間の練習の後であっても、もっと練習が必要と思ったときは、女性たちを説得するのに自分の魅力をうまく発揮したのでした。

 

彼の音楽性は指先に至るまで表現されていました。しかし、アメリカの素晴らしい音楽の中には、フレッド・アステアのために書かれたものがあることは、殆どの人に知られていません。そうした曲の中には、「夜も昼も(Night and Day)」、「チーク・トゥ・チーク(Cheek to Cheek)」、「トップ・ハット(Top Hat)」、「イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ(Isn’t this a lovely day)」などがありますが、他にもたくさんあります。偉大なアメリカの作曲家たちは、まさに、フレッド・アステアのためのプライベート創作チームのようなものでした。その中には、アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)、ジョージ&アイラ・ガーシュウィン(George and Ira Gershwin)、ジェローム・カーン(Jerome Kern)を始め、他にも大勢いました。当然ながら、フレッド・アステアも楽器の演奏ができました。

例えば、ピアノにドラム。このドラムは完璧な彼の道具として3本の映画で使われています。踊る騎士(A damsel in distress)の中の曲「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット(Nice work if you can get it)」、イースター・パレード(Easter Parade)の中の「ドラム・クレージー(Drum Crazy)」、そして、足ながおじさん(Daddy Longlegs)の中で見せる即興場面がそうです。

 
 
 
 

 

フレッド・アステアは契約書の中で、彼のダンスシーンはすべて固定カメラで撮影し、全身を映す事という条項を入れています。カメラを動かせば、逆に彼のパフォーマンスがスピードを失ってしまうからです。

残念なことに、今日のTV番組でダンスを競い合う「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ(Dancing with the Stars)」のテレビ・ディレクターはダンスが何であるか、また、どのように映像におさめるべきかをまったく理解していません。ハンディカムのようなカメラをカメラマンに持たせ、出演者たちの周りを走り回らせて、実際の踊りではないものを伝えさせているのですから。もっと、過去のミュージカルで使われた技法から学ぶことができるのに。しかし、残念なことに、無知がそこら中に広がっています! そうした無知は、自分はよく知っていると思い込んだときに起こるものです。

だから言うのです。「靴屋よ、靴屋の仕事をしろ!」と。フレッド・アステアのモットーは、「自分のできることを100%やるだけ」だったのです!

※「靴屋よ、靴屋の仕事をしろ!」:原文はCobbler, stick to your trade! で、自分のできることをやれ! 知ったかぶりするな、の意味合い。

 

 

ジーン・ケリー(GENE KELLY)

ジーン・ケリーは実にオールラウンドの映画俳優で、ダンサー、コリオグラファー、脚本ライター、プロジューサー、監督と何でもこなした天才でした。フレッド・アステアはハリウッド式の大パーティーを嫌い、控えめで家庭的だったのに対し、ジーン・ケリーはありとあらゆるイベントで見かけることができました。彼は人脈を築いて映画界の重鎮たちとのコネを持ち、彼が出演した殆どの映画では、当然依頼されるべき仕事より多くの仕事を貰うようにしました。一緒に仕事をした女性たちは彼のことをよく言わなかったばかりでなく、しょっちゅう気難しくなっては、そうした感情をぶしつけにパートナーたちにぶつけていたことを語っていました。

リハーサルではスクリーンの他の仲間たちよりもよく見えるよう、自分の振り付けだけ熱心に練習していました。彼のメインの協力者は若きスタンリー・ドーネン(Stanley Donen)でしたが、二人は自分たちがチームの中で他の者達よりも偉いと感じていたため、それがとても押柄に映りました。映画撮影時、ジーン・ケリーは監督の椅子に座ってしまうこともありました。そこには彼といつもつるんでいたスタンリー・ドーネンが一緒でした。そんな風なものですから、撮影中に本来の監督がケリーとドーネンに変わってしまうことがしばしば起りました。ケリーはそういう影響力を行使していたのです!

こうしたフレッド・アステアとジーン・ケリーの二人の驚異的なダンサーを比較し、二人の仕事の環境を見て行くと、きっと皆さんには大切なものが見えてくると思います。

 

二人ともリハーサル中はコリオグラファーとだけでいるわけではなく、ピアニストも使っていたので、二人ともコリオグラファーとアイディアを出し合い、ピアニストはそれをどのようにして音楽として表現するかを考えて、譜面におこしました。当時のピアニストは最終音楽のアレンジャーも兼任していたので、直前に仕上がった振り付けに合うよう音楽のアレンジをしていました。今は当時とは全く逆で、音楽が先にあって、その音楽に最適な振り付けをコリオグラファーが考えて出しています。

 


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