FL05 初恋は音楽 3. クラッシックの影響

投稿者: | 2022年11月11日

クラッシックに縁遠い私でも「ケッヘル」の言葉は聞いたことがあります。でもそれが、ケッヘルと言う人がモーツァルトの作品を時系列的に配列した番号だという事を、この本の翻訳を通して初めて学びました。他にも音楽用語が出てきますが、クラッシックに精通している人にも通じる翻訳になっていれば良いのですが…。

 

目次紹介

“Music Was My First Love”
初恋は音楽

 

3.クラッシックの影響
The influence of the Classics

 

音楽が私に与えた影響をもう少し探ってみましょう。私の音楽「教育」には父の影響が大きかったです。どのような影響があったかは、当時も今も正確に述べることはできませんが、私は父と非常に強い絆がありました。良い意味でも悪い意味でも性格的に似た者同士だったので、それがまた、刺激を与えあう良い関係を築いていたと言えます。父と二人で音楽やその効果についてよく話し合ったものですが、そこから、父という人物が、幾つかの外的影響と経験から形成されたことを察知しました。

彼が行進曲やデキシーランドに興味を持っていたのは、10代の時にミュンスター(Munster)の英国陸軍人事課と関係していたことに起因します。行進曲やデキシーランドに没頭していたわけではありませんが、彼の部屋から時折流れてくることがありました。私には殆ど理解できないのですが、父にはもう一つ好きだった音楽がありました。父は気が向いたときに、グレゴリウス修道士の歌(*下に動画)を聴くのが大好きでした!それもそのはずで、子供の頃に父が修道士になりたかったという話を聞いたことがあります。しかし、残念なというか幸にというか、運命のいたずらが、曲がりくねった父の細道と母の道を交差させたのです。


(グレゴリウス修道士の歌のひとつ)

 

ということで、どうにか音楽の好みについて説明できたと思いますが、こうした伝記的なあれこれがあって、父の色んな逸話を聞くのが大好きになりました。聖ロンギヌス塔(Longinus tower)が前にあるゲルレーフェ修道院(monastery of Gerleve)は旅行好きの家族に人気のあるスポットです。そこを訪れると、父が思い出にふけている間、私たち3兄弟は眺めの良い景色を楽しみました。しかし、何よりも父はクラシック音楽の大のファンでした。

(聖ロンギヌス塔とゲルレーフェ修道院 / ウィキペディアより。地図で調べると二つの間は車で20分位離れています。私の読み間違い、調べ間違いなのでしょうか?)

 

それで、私は父から偉大なクラシックの名曲の数々を、父の専門知識を交えて聞くことができたので、すんなりとクラシック音楽が好きになりました。そうとはいえ、そうした知識の背景がなかったとしても、ウルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の曲が私の小さな魂の奥深くまで入り込んできたのは、疑う余地がありません。モーツァルト以外にも素晴らしい曲はたくさんあると父は教えてくれました。それで私は、名曲の数々を幾度も聴きました。すると、当然ながら、父の話に納得することができたのです。ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)は、そのお手本みたいなものでしたが、私の考えでは、彼のどの曲にも、どこか憂鬱さが秘められています。

ヨハン・セバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の曲は、いつでも私に、何か特別なお祝いをするような気持ちを届けてくれました。それは、彼の同時代の作曲家、ゲオルク・フレードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Handel)やアルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli)やトマゾ・アルビノーニ(Tommaso Albinoni)も同じでした。私は、モーツァルト時代以降のクラシック音楽はほとんど好きではありませんでしたが、例外とし、ショパンの曲は旋律がとても美しく思え好きでした。

 

私の好みに合わない作曲家としては、リチャード・ワーグナー(Richard Wagner)がトップに挙げられます。6時間もかかるオペラで聴衆の神経を痛めつける理由が理解できません!ワーグナーを聞いている時のストレスは、今日、私が競技会を見ていてしばしば襲われるストレスに似ています。意味もなくバタバタ走り回っているのですから! 勿論、それもこれも、個人の好みの問題であることは重々承知していますけどね。そんな競技会を毎年見ていますが、私のとびきり上等な六感は、バイロイト(Bayreuth)フェスティバルは今も昔もほとんどの場合、そこそこ成功しているファッションショーだと言っています。

イエロープレスの写真ページでA級セレブに混じって、たとえ小さくても掲載されれば、男性にも女性にも将来シャンパングラスを持つ人たちの招待客リストに間違いなく載ることでしょう。正直な所、私のこの思いを実にうまく表現しているのは、ウード・ルゲンス(Udo Jurgens)の曲「Festspielfieber(意味:祭りの熱)」より他にないでしょう。あいにくドイツ語しかありませんが、もしあなたがドイツ語が分かり、まだこの曲を聴いたことがないのでしたら、ぜひ一度聴いてください。この皮肉った曲は彼のCD”Zartlicher Chaot”に入っています。

 

これは結論が出ない議論のようなものですが、例えば、一番素晴らしいオペラは何かと聞かれたら、断然モーツァルトの「魔笛」(The Magic Flute)が好きだと答えることでしょう。これほど多様な美しいメロディーの数々を見つけることができるオペラは他にありません。「ああ、私にはわかる、愛が消えてしまったことが」(Oh, I feel it’s disappeared)は、この上なく悲しい曲です。また、「鳥刺パパゲーノ」(The bird catcher, yes I am)は元気いっぱいのパパゲーノの性格を見事に描写していますし、このメロディーは子供たちにもよく理解できるようです。(*下に3つの動画)

モノスタトス(註:黒人の奴隷頭)の落ち着かない声は歌声の中にでています。そして、あの有名なパパゲーノとのデュエットには沢山のユーモアがあります。でもそれは、音楽からだけの話だけで、ここで、魔笛全体に対する私の見解を事細かに語る気持ちはありません。オペラ自体が物語っているのですから。いずれにせよ、オペラはお金を払ってでも全幕観劇する価値があります。

  

 

私の49歳の誕生日のプレゼントは、家族4人で観に行ける「魔笛」のチケットでした。このときの上演は、「魔笛・簡易版」みたいなもので、子供が楽しめるようおとぎ話風にアレンジしたものでした。とはいえ、歌はすべて役者が生で歌っていましたので、こうした視覚と聴覚に訴えるオペラの醍醐味を当時4歳の娘と8歳の息子がどのような興味を示す、大変興味がありました。

子供たちの話では全部とても良かったそうです。ですが、会場から自宅の駐車場に着くまでの間、二人は、あの夜の女王が歌う有名なアリア、「復讐の炎は地獄のようにわが心に燃え」(Hell’s Vengeance Boils In My Heart)(*下に動画)を歌い続けていましたので、どんな年齢の子供であっても決して過小評価してはいけませんね。子供たちを通して私は若返って行く気がしました。人生は一度のことだから、存分に楽しもうと思っています。

 

父が57才の若さで3回の心臓発作に襲われて亡くなったのは1988年2月5日のことでした。その少し前、父はクリスマスのプレゼントにレコードが欲しいと言いました。それはカール・ベーム(Karl Bohm)指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるモーツァルトのレクイエムのLPでした。

父はそのLPをクリスマスイブに聴きました。家族の中に座り、父だけヘッドフォンをつけて。すると、数小節流れたかと思ったとき、彼の頬には涙が零れていました。そして私に言ったのです ― この曲はきっと天国で作曲されたに違いない。さもなければ、モーツァルトは天国から直にインスピレーションを授かって作曲したに違いない ―― と。そうかもしれません。私はそうした天才にいつも感心しています。そして思う事は、時代を問わず、そして男女を問わず、そうした人たちは懸命に学ぶ大変な努力をしたからこそ、結果として、本人だけが成し得る特別なことができるようになったのだと。

 

私はモーツァルトの曲は死期が近づくに従い良くなっていった印象を持つようになりました。当然、「魔笛」(KV 620)がそうですし、彼の最後の作品とされる「レクイエム」(KV 626)、そして、あの名曲「クラリネット協奏曲」(KV 622)など、その時期の作品は他にもたくさんあります。(*下に二つの動画)

そうなった理由の一つに、彼の中に蓄積増大した経験があります。モーツァルトの場合のもう一つの理由は、個人的な興味とバッハやヘンデルの様式を扱う高額な仕事がありました。彼は、ソロ・コンチェルト、ソナタ、オルガン曲などを大オーケストラ用に編曲し、オリジナルの交響楽団で演奏できるようにしました。

 

 

モーツァルトは先人たちを大変賛美・褒め称えましたが、それは、彼が対位法のような最も難しい作曲技法を使い始めるまで続きます。そして、そこに彼自身の天才性が加わりました。専門家がバロックの巨匠たちの影響を見出したとしても、真のモーツァルトの音楽には、彼自身の特徴があらゆるスタイルで刻まれていることに誰も異論を唱えることができませんでした。それは、名を遺した現代の人たちにも言えることではないでしょうか? 自分の専門技術を学び、過去の名人から学び、そこに自分のアイデアを加えるのです。

そうしたアイディアが極端であればあるほど、時代の試練に耐え得る可能性は大きいといえましょう。当時は天才的な音楽家でも、生活に必要な十分なお金を稼ぐことはなかなかできないことでした。ベートーベンやバッハやモーツァルトは今でも一般的な家名にありますが、もし彼らが生きていたなら、レコード売り上げで億万長者になっていたことでしょう。

アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)はモーツァルトの敵対者として彼自身の名声を手に入れました。そして、ウイーンの宮廷の位の高い人たちとの交際や陰謀を企むことで守られていました。

 

彼らと今日のメガスターにみられる明白な類似点は、17~19世紀にかけてのスーパースターたちも、同時代の人たちとは対照的に革新に寛容であり、かつ基礎技術や自己研鑽に励むことでメガスターになったことでした。

芸術と科学の両分野に一貫した努力と必要な頑固さ、そして自分に対する揺るぎない信念を持った人々が常に存在したことは、私たちにとり、何と幸運なことでしょう。そうでなければ、これほど美しい音楽や心躍らせるような絵画を体験することはできなかったでしょうし、多くの有用な発明の恩恵を享受することもなかったことでしょう。

 


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