1章 第5話 ブルース(つづき)
寿美は10まで数えて、皆を止まらせた。
寿 美: あら? 10歩前進して10歩バックしたのに、同じ所に戻れなかったですねぇ。
みんなは思うようにバックできなかったことに戸惑いを隠せないでいます。
寿 美:それは前進と後退の歩幅が違うってことでしょ? 組んでいたら、一人が前進したら相手は後退だから、歩幅を合わせなくてはいけません。そこで、後退が上手になる簡単な練習方法を教えます。
千 葉: その場で右足後退して。いま、前の左足のどこが床についている?
さとし: つま先。
千 葉: そのつま先は後退する足を引き戻そうとしているようなものなんだ。そこで、そこが踵になるようにします。
ヤ ス: そんな面倒臭いことやらないでも、動けりゃいいべさ。
寿 美: さっき、組んで歩けなかった主な原因がこれなの。あの格好でいいなら、ダンスの本を買ってステップを覚えれば済んじゃうわ。
美 和: せっかく習うんだから、ちゃんと習いましょうよ。しかもテスト期間で私たちは試されているのよ。
バックの形
千 葉: ありがとう美和ちゃん。話の続きだけど、綺麗に歩けてる人は体が真っすぐでしょ? バックしているときも体が真っすぐであるようにします。そこで、こんな練習をしてみよう。家でもできるからね。
千葉と寿美、両足前後に開き、前足は踵、後ろ足はつま先で止まって見せた。そして、その形のまま前後にトントントンと体重移動してから、後ろ足に体重移動して、前にあった足を後ろに持って行き、再び開いた形にする。全員、真似して練習を続けていると、次第にコツを掴み始める。
千 葉: 今の感じで組んで動いてみようか! 前進は踵から、後退する人の前足は、今の要領で踵になっているように。踏まれたら、やり返していいからね。
新しいパートナーで動いてみると、先程の格闘の形が、よりスマートな動きになっていたので、「オー、オー!」の声が湧いた。
寿 美: オーケー。見込み出てきたわよ。次は、用語の勉強です。ブルースでは部屋の中を反時計回りに進んで行きます。この壁に沿った4つの反時計回りの方向をLODと言います。ライン・オブ・ダンスの略だけど、ただLODと覚えればいいわ。
河 合: そんな事知らなくたって踊れるべさ。早くステップやりたいなー。
寿 美: 車の運転でも、交通ルールを覚えないと道路に出て大変でしょ? 用語とは交通ルールみたいなものよ。団体レッスンでは最低限の用語とルールを覚えてもらわないと教える方も教わる方も大変よ。私たちに頼んだが最後、諦めて下さい。
千 葉: 今日はLOD、壁、壁斜め、中央、中央斜めの5つを覚えよう。それと、ヒールは踵で、トウはつま先。
加 藤: トウって、トウシューズのトウか?
千 葉: そう。足の指は全部で10あるので、英語でもトウって言うんだ。
加 藤: ホントか!
美 和: 馬鹿ね。ウソに決まってるじゃない。
加 藤: おれ、もう、こいつ信じないわ!
次に実際のステップに入った。まずは、クオーター・ターンズの繰り返しでフロアを移動。コーナーでチェックして方向転換。仲間たちの額には汗が光り出した。
次に、千葉たちがナチュラル・ターンとリバース・ターンを踊って見せた。
千 葉: ナチュラル・ターンの最後で男性は中央斜めに面して終わります。ここでは直ぐにリバース・ターンに続け、終わりはスタートと同じく、男性は壁斜めに面します。女性は壁斜めに背面だよ。するとクオーター・ターンズに続けることも、再びナチュラル・ターンに入ることもできます。
寿 美: ナチュラルとはダンスでは「右回転」で、リバースはその逆の「左回転」。これも覚えてください。
千 葉: 次回は今日の復習とワルツをしよう。
河 合:リクエストしていいなら、俺、ジルバやりたいなぁ。時々、飲み屋で踊る奴いるんだよなぁ~。
寿 美: じゃあ、ジルバね。モテルようになるわよ。
皆が笑っている所にミッチが話した。
ミッチ: ところでさ、「ダンスやりたい」ってのがいるんだけど、今度連れて来ていいかな?
ヤ ス: いいに決まってるべさ。 誰よ?
ミッチ: 2年下の東山さん。
男 性: おおー! 大変いいんでないかい! 今更、2年下もないけどね。
(大笑)
千 葉: 決まりだね。ところで恵美ちゃん、旦那さんは大丈夫だったかい。
恵 美: やっぱし偏見の塊よ。やったこともないくせにさ。「私はやるからね」って言ってやったわよ…。
千 葉: そっか…。理解してくれるといいんだけどな。
悪戦苦闘の1回目が終わった。公民館を出て車に向かう彼らの後ろ姿は、見違えるようだった。
夜の駐車場
その夜、スーパーの駐車場で妙な動きをする影がありました。そこに、自転車で近づく警察官の姿。
警 官: 君たち、なにやってんのかね、ここで。
加 藤: ダンスに決まってるべや。
警 官: ふーん。嫌らしいな。
加 藤: どこがだ。悔しかったらやってみろ。
警 官: 本官を侮辱してはいけませんよ。
加 藤: そっちが偏見の目で見るからだべさ。
ヤ ス: 加藤、やめとけ。
すると、駐車場に入ってくる別の影から声がした。
さとし: おお、何やってんのよ。
加 藤: 復習しようかと思って。広い場所が欲しくてさ。
さとし: おんなじこと考えるもんだな。いやいやいや。公民館では出来たのによー、帰ったら分かんなくなってさ。そしたら佳純がここなら練習できるっていうので、来てみたさ。
佳 純:あら、お巡りさんもやるなんて、素敵ね!
警 官:いえ、私は職務中です。残念ですが…。
更に二つの影が近づいた。
恵 美: あんたたちもかい。いやいやいや、同じこと考えるもんだね。私もステップ分かんなくなってさ、美和ちゃんに「教えて」って電話したんだー。
さとし: 家は大丈夫か?
恵 美: なんかあったら、私、ダンス選ぶさ。
美 和: じゃあ、今日やったところ、やりましょ!
ヤ ス: まじ、お巡りさんもやってかない?
警 官: いえ、本官はこれで失礼します。
全 員:残念! 淋し~!
さとし: これでミッチと河合がいたら、全員だな。
佳 純: 全員になりそうよ。あれ、そうじゃない?
さとし: ほんとだ。東山さんも連れて来たぞ。うまくやってるじゃん!
全員以上が集まり、夜の駐車場でみんなの熱心な復習が行われた。
それを遠く離れた所から覗く不審な影がひとつありました。