少年時代のオリバーさんが魅了された数々の音楽の中に私の好きな曲も入っていて、小さな繋がりを感じる章でした。
【目次紹介】
“Music Was My First Love”
初恋は音楽
2.音楽が持つ力
The Power of Music
少年時代、音楽の好みは映画音楽サウンドトラックに変わっていきましたが、皆さんも無意識のうちに映画音楽と映画の内容が結びついていることを経験されていることでしょう。印象的な物として、スクリーン上に繰り広げられるアクションを支える音楽がありますが、時には、先に素晴らしいサウンドトラックに出会い、それから実際の映画がその音楽に相応しいかどうかを確かめるために、映画館に足を運ぶこともあります。
しかし、私の期待が大きすぎるのか、がっかりすることも少なくありません。たとえば、一例として映画史上もっとも有名なマカロニ・ウェスタンを挙げてみましょう。映画「ウェスタン(Once Upon a Time in the West)」(*下に動画)には、全編通して流れる二つのメインテーマがあるのですが、個人的には、この映画は1時間以内であっても良い気がします。(注:2時間半以上あります)
勿論、この映画が大成功したのは、異常なまでに長ったらしい叙事詩的なシーンにあるかも知れないことも充分承知していますが、私には退屈で死にそうです。オープニングの場面で、汽車を待つならず者たちが蝿を追い払うシーンは、勘弁してほしいです!
音楽と映画が素晴らしく一体化しているのもあります。音楽を聴くとある場面が鮮やかに目に浮かびあがってきますが、そうしたとき、この映画にはこの音楽しかないと思ってしまいます。
「ベンハー(Ben Hur)」、「十戒(The 10 Commandments)」、「キング・オブ・キングス(King of Kings)」、あるいは、「クォ・ヴァディズ(Quo Vadis)」などのような超大作映画を観ると、映画「シンドラーのリスト(Schindler’s List)」の主題曲(*下に動画)を聴いたときと同じ感情がこみあげてきます。
(シンドラーのリスト主題曲)
シンドラーのリストを実際に見ていない人でさえ、音楽からかなりの雰囲気を描写できることでしょう。その上で映画のタイトルを聞くと、たちまち二つのつながりに納得いくのです。
私のコリオグラファーとしての長い経験の中で、幾度も、このシンドラーのリストのテーマ曲で振り付けをしていますが、いつでも映画に対する尊敬の念を、そして、内在する映画の主旨を忘れないようにしました。私が持つ、この事実に基づいた堂々とした感動的な映画のストーリーの知識を切り離すことはできませんでした。
映画のもつ厳粛さを100%尊重し、それを振り付けに反映するようにしました。さて、映画音楽も他の音楽同様、人はそれぞれに違ったことを連想することでしょう。
一例を挙げましょう。数年前のことです。私は東京で開催されたダンス選手権を観客として見ていました。競技が終わると、他の国と同じように表彰式が行われたのですが、その表彰式の最中に荘重な讃美歌が流れたのです。とっさに、その年のクリスマスが早くやってきたのかと勘違いしてしまいました。
何が演奏されているのか気づくまでしばらく時間がかかりましたが、その曲は教会で聞いていたので知っていました。なぜなら、私はかなり長い間、ミサの侍者をしていたので、相当数の讃美歌を覚える必要があったからです。ですから無意識のうちに歌詞が記憶の中に入り込んでいたのです ― 「シオンの娘よ、よろこべや!(Zion’s daughter, oh rejoice!)」(*下に動画)
この曲はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Handel)のオラトリオの“ユダス・マカベウス(Judas Maccabaus)”と“ジョシュア(Joshua)”の合唱の連続部から作られたものです。日本では誰もそうしたことを知らないでしょうが、この儀式用音楽はスポーツ番組がテレビで放映されるときのオープニングとして演奏されています。ところが私には、この音楽とクリスマスの感覚が結びついているのです。日本人には、もしかすると、スポーツの表彰式と結びついているのかも知れませんね。
映画「ある愛の詩(Love Story)」(*下に動画)は観ましたか? これはエリック・シーガル(Erich Segal)の小説を映画化したもので、(ジェニファー役の)アリ・マッグロー(Ali McGraw)と(オリバー役の)ライアン・オニール(Ryan O’Neal)が主演していました(覚えてますか?映画館に入る所で、ティシュを配っていましたね)。この映画を観た人なら、音楽を聴くだけで最後の悲しい結末が蘇ってくることでしょうが、観ていない人には、そうした感情は湧いてこないことでしょう。
(ある愛の歌)
そうした例は切りがないほどありますが、要は、音楽を聴いた人のリアクションは十人十色と言う所に落ち着きそうです。例えば、その歌が歌われている言語によって、聴く人の抱くイメージは全く違うものになることがありますが、語りかけるように優しく歌うディーン・マーティン(Dean Martin)やペリー・コモ(Perry Como)のような歌手の歌は、私たちドイツ人でも十分雰囲気が理解できます。
勿論、英語の歌詞は部分的にしか分りませんし、踊りながら聞いているならもっと理解できません。しかし、これがドイツ語で歌われると状況はガラッとかわります。なぜなら、その有名なアメリカの歌が殆ど同じ意味のままドイツ語の歌になったりすると、一般的なドイツ人ダンサーならびっくりしてしまうでしょう。歌詞が踊りの邪魔をしてしまうのです。
つまりドイツ語の歌詞に無意識について行く結果、踊りが邪魔されてしまうのです。こうした場面では、英語を母国語とする人たちはどんな風に感じているのでしょう?
当然、英米人は殆どの曲の歌詞が理解できる訳ですから、たいして問題にならないかも知れませんが、ディーン・マーティンの代わりにロイ・ブラック(Roy Black)が歌ったとすると、大方のドイツ人は快く思わないでしょうし、また、それが顔に現れてしまいます。
とはいえ、ロイ・ブラックの非常にダンサブルな曲もあります。彼のヒット曲「Ich Denk an Dich(意味:アイラブユー)」はフォックストロットに適した美しい曲です。
それから、エスター・オファリムがドイツ語で歌う、美しいワルツの曲もあります。エスター - そう、イスラエルのあのエレガントな歌手のことですよ。曲名は「Komm, leg Deinen Arm um mich(意味:さあ、私を抱きしめて)」です。ウード・ユルゲンス(Udo Jurgens)は自作の「Wie konnt’ ich von dir gehen(意味:あなたを忘れられない)」を全く違う二つのバージョンとしてレコーディングしましたし、なかなか見つけられない「Sie ist nicht wie Du(意味:彼女は君が好きじゃない)」の曲も2バージョンでレコーディングしました。(*下に4曲の動画)
他にも好きなラブソングを挙げるならアレクサンドラ(Alexandra)の曲があります。彼女は1969年に車の事故に遭い20代の若さでこの世を去りましたが、彼女が歌った殆どの曲には東ヨーロッパのセンスを感じさせるものでした。しかし、私が最初に魅せられたのは彼女の声でした。
また、もの悲しいメロディーと歌詞が私の肌に浸み込んで行くので、アレクサンドラのレコードを聴いていると、落ち込んだ気持ちになって行きます。短調、つまり、暗い感じの曲ですから、それも当然なことです。そこにまた、私は感動するのです。
とにかく、私は落ち込んで抜けられないときにはアレクサンドラの曲をかけます。きっと私に演劇じみた傾向があるからなのでしょうね。そして、いとも簡単に泣き出してしまうのです。アレクサンドラがワルツを歌っていても涙が出てきます。それにしても、彼女のワルツの曲はもっとスローテンポの方がいいですよ。(ほら、そこのPCに精通している人!今はそんなことありませんが、かつては音楽のスピードをいじると、声まで簡単に変わってしまったのですよ!)
他に有名だったものとしては「Sehnsucht(意味:憧れ)」、「Erstes Morgenrot(意味:最初の夜明け)」、「Waizer des Sommers(意味:夏のワルツ。日本の曲名は、過ぎし夏のワルツ/愛のワルツ)」などの曲があります。(*下に3曲の動画)
(「愛のワルツ」の仏語歌詞と翻訳がアミカル・ド・シャンソンのサイトに出ています。)
最近の人ではロジャー・シセロ(Roger Cicero)がいます。彼はヨーロッパでは非常に有名なジャズ・ピアニスト、オイゲン・シセロ(Eugen Cicero)の息子で、ドイツの歌をドイツ語の歌詞で歌っていますが、ダンサブルな曲も歌っています。
(彼の曲を捜してみました。ダンサブルと思います。)
しかし、残念なことは、そうした彼らの曲は私たちが踊るにはテンポが速すぎることです。勿論、今のPC技術を使えばキーも歌手の声も変えずテンポだけ変えて競技会用に変換することは可能です。しかし、いったい私たちは何を待つというのでしょう。ドイツ音楽だってダンスに最適ですよ!