「ダンサーのためのメンタル・トレーニング」(マッシモ・ジョルジアンニ著/神元誠・久子翻訳/白夜書房 原書名:DANCING BEYOND THE PHYSICALITY)を紹介します。
MT30 第5章 言葉の力/④先生と生徒
Teacher – Student
私たち教える側が発言することは、生徒たちの考え方や行動にまで影響を与えます。ですから、肯定的で建設的な影響を与えるのが好ましいですし、勇気づける言葉が望ましいのです。とりわけ重要なことは、生徒に対して決してダメと決めつけないことです。
子供に向かって「お前はバカか!」と言うのと、「バカなことをしたね!」と言うのとではまるで違います。なぜなら、「お前はバカか!」は、子供自身をバカ呼ばわりしていますが、「バカなことをしたね!」だと、バカなのは行為に向けられているからです。つまり、その子はバカではないが、バカなことをしたということだからです。
私は、教える側というのは、習いに来ているカップルのダメなところ、できないところをリストアップするのが仕事ではないと思うのです。レッスンそのものが建設的であるべきで、そのカップルがしてしまう間違いなどをなくしていくために、何をしたら良いかということを常に建設的に話していくべきだと思います。ですから、このような表現は避けましょう。
「君たちにはできない」
「だめ、だめ、だめ」
「悪い」
「コメントしようがない」
「余計なことは考えないで、言われたことをすればいいんだよ」
「君たちには向いていないな」
MT30 第5章 言葉の力/⑤ジャッジしてはダメ
Judge No – Evaluator Yes
この章では、言葉がいかに行動に影響を与えるかということをお話ししていますが、それに絡んで、世界に向けて推し進めたいことがあります。それは、ジャッジ(判断を下す人)という言葉の代わりにエバリュエーター(評価人)を使いましょう、という提案です。
私は、ジャッジよりエバリュエーターの方が、その言葉が持つ意味からして適切だと思います。エバリュエーターだと、ダンスを踊っている人、あるいは、カップルが表現するものから、あらゆる長所を見つけ出す響きがあるからです。エバリュエーターの仕事はゼロからスタートし、その踊りの良いところに対して加点していきます。
よって、最終スコアはダンサーに対して好意的であり、そのダンサーが踊りで見せた素晴らしいところの累計点が出てくるのです。ジャッジではそうはいきません。気持ちの上では正反対のことをしているわけですから。
つまり、ジャッジの手には満点が用意されており、そこから、フロアで踊るダンサーと敵対して、ダンサーのあらゆる粗を探し、悪いところや間違いを差し引いていくのですから。エバリュエーターがダンサーの長所を肯定的に加点するのに対し、ジャッジは否定的な見方をした上で判定を下します。エバリュエーターではダンサーが進歩していく余地を持っていますが、ジャッジだと進歩する芽を摘んでしまいます。こうしたことを真剣に考え、また、ジャッジという言葉が与える影響を考えると、ジャッジと呼ぶのは決して適切ではないことが分かると思います。
自分がジャッジだと思ってごらんなさい。きっと、好いところではなく、悪いところを見つけようとすることでしょう。
― ジャッジは判決を下すためではなく、そのカップルが他のカップルと比較してどうかという個人的な評価をするためにいるのである。
比較であって、ジャッジしてはいけないのです。私は、この小さな提案が競技選手に違いをもたらすと信じています。彼らは悪いところを見つけられるのではなく、自分たちの踊りの良いところを見つけてもらえるのですから。
ジャッジする行為には芸術とはかみ合わない、ある種の厳しい感覚が内在します。例えば、私も絵や彫刻を見て自分の感想を述べることはできます。その絵や彫刻の芸術性がどうかということを自分の知識の範囲ですることはありますが、判定するとなると、それは多分に自分の範疇を超えたことに思えます。
― 覚えておきましょう。言葉は感情に大きな影響を与え、ひいては、行動にも影響を与えます。
― コミュニケーションの仕方を変えることで、そのカップルは競技会で、より素直に自分たちらしさを表現できます。以前より良いパフォーマンスができるので、結果として、どの競技会においても、それまでよりも良い成績に繋がっていきます。
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