#011 ラテン・チャンピオン雑学1 ムシュー・ピエール

投稿者: | 2020年1月9日

ダンスビュウ2017年3月号に「ラテンレッスン雑学」という記事を書かせていただきました。原稿依頼を受けたとき、なぜか「ラテン・チャンピオン雑学」と思い込んだたため、記事はチャンピオン達の話になっています。そこで、このブログでは「思い込みの」のタイトルをそのまま使い、オリジナル原稿に手を加えて紹介していきます。

 

#011 ラテン・チャンピオン雑学
ムッシュー・ピエール(Monsieur Pierre )

 

私はダンスを習い始めてから長い間、心のどこかでスタンダードもラテンも昔から同じようにあったと思い込んでいました。しかし調べてみると、ラテンが競技会として登場するのは第2次大戦の後の1953年、当時のモダンに遅れること28年も後のことでした。

その競技会は、今もロンドンのロイヤルアルバートホールで毎年10月に開かれている International Championships で、創設者はエルサ・ウェルズ(Elsa Wells 1910-2002)氏です。彼女の名前は、「#003 タンゴレッスン雑学3」にチラッと出ています。

この「ラテン・チャンピオン雑学1」では、エルサさんとムシュー・ピエールのことをもう少し調べて書き足しました。また、ムシュー・ピエールが踊る貴重な映像も貼り付けました。❣

 

Elsa Wells
彼女自身は1929-31年 Star Amateur Championship のフォックストロット、ワルツ、クイックステップ、タンゴで優勝(パートナーはお兄さんの John)、1938-39年 Star Professional Championship は準優勝しています。この時のパートナー James Barrel (後に James Holland と改名)が第二次大戦で亡くなると、エルサは二度と競技の世界に戻らず、教える側となり、その後 Lavi Bakstansky 氏と結婚しました。

彼女はカップルから最も求められるコーチャーとなり、同僚たちも評論家たちも彼女のエレガントなスタイルを絶賛。教わった男性たちは彼女の能力を「自分の第二の皮膚」と称賛しました。女性の生徒たちは彼女の踊りを見て勉強するのが当時の一般的な形だったようです。

ビル&ボビーとエルサ・ウェルズ氏(出典:Ballroom Icons / Brigitt Mayer-Karakis )

 

 

ラテンのパイオニア Monsieur Pierre

ラテンの競技が始まる前、1920年前半からロンドンの人たちはサンバの前身であるマシーシ(Maxixe)や、パソを踊っていたようです。その頃パリにはキューバやブラジルなどからの移民が大勢集うクラブやダンスホールがあり、そこで繰り広げられる珍しい音楽と踊りにすっかり魅了された一人の若者、ピエールがいました。

彼とパートナーのドリス・ラベル(Doris Lavelle)は英国におけるラテン・アメリカン・ダンス界のパイオニアと言われており、人々は尊敬の念を込めて「ムシュー・ピエール」と呼びました。彼の正式名は Pierre Jean Phillipe Zurcher-Margolle でフランス生まれです。

1947年、2人が初めて訪れたキューバで、ピエールがキューバのラテン・チャンピオンと踊ると、すかさず「音を外している」と指摘されたそうです。セカンド・ビートで始める踊り方は、当時の西洋人には馴染んでいなかったようです。

 

「アイーダ(Aida)」や「キキ・ウォークス(Kiki Walks)」はキューバで教わった先生たちに敬意を表してフィガー名にしたものです。

英国にラテン・ダンスを普及させたピエールは「エンペラー」、ドリスは「クイーン・オブ・ラテン」として知れ渡っていたようです。

(参考:Ballroom Icons / A CONCISE HISTORY OF LATIN AMERICAN DANCING IN THE UNITED KINGDOM)

 

 

■ピエール&ドリスは何度もキューバを訪れたようですが、この映像は二人が1947年に初めてハバナ訪問したときのものです。ペペ&スージー・リビエラ(Pepe & Suzie Riviera)からキューバスタイルのソシアルダンスを習う映像が YouTube にアップされていましたので、ここに記録します。今日のルンバで使われているステップが出て来ますし、踊りがサルサのようにも見えます。

 

こうした貴重な映像をインターネット見ることができる時代の中にいて、私はとても幸運に思います。そして、貴重な映像をシェアして下さる人がいてとてもあり難いことだと思います。

 

ハッピー・ダンシング!