G046 ムシュー・ピエールの手紙

投稿者: | 2020年4月20日

ラテン・アメリカン・ダンスのパイオニアと言われるムシュー・ピエール氏の1947年の手紙を見つけました。忘れてしまわないうちに記録に残そうと思います。私なりの拙訳と過去の投稿の一部も加えました。

 

ピエール氏の手紙(PDF)

Three-weeks-in-Cuba-By-Monsieur-Pierre

※出典:Who was…Three weeks in Cuba By Monsieur Pierre 1947 
※筆者 :Brigitt Mayers (氏は “Ballroom Icon” の著者です)

 

 

キューバでの3週間(訳文)
Monsieur Pierre

ロンドン、12月19日(金)  ――  翌朝ニューヨーク ――  翌夜ニューヨーク ~マイアミ ―― 火曜、マイアミ―キューバ(80分程度)! これが現代の旅の仕方。そしてクリスマスイブ、すべてのダンスの中で最も現代的な最新作、キューバン・ルンバを探求すべく、私はハバナで踊っていました。

 

ハバナにはダンススクールはほとんどありません。私はハバナでの滞在中、最高の場所を拠点にしました。そこは、ハバナの大富豪たちが宿泊する Hotel Nacional de Cuba のBajo la Luna(月の下)と呼ばれるパティオ(スペイン式中庭)の中にあるシドニー・トロット・ダンス・スタジオです。

 

毎年、ハバナ市議会は大きなルンバ・コンテストを開催します。何千人もの人々がコンテストを見ます。幸運にも私は1947年のルンバチャンピオンから毎日午後にレッスンを受ける機会を得、毎晩彼のパートナーと練習できました。

 

キューバのボールルーム・ルンバは“ソン(Son)”として知られています。 Sonは音楽のテンポによってダンゾン(Danzon)とボレロ(Bolero)(遅いテンポ)、そしてワラチャ(Guaracha)(速いテンポ)に分かれています。「ルンバ」の名前はもっぱらこのダンスをショーで踊る場合に使われます。

 

ハバナには多くのナイトクラブがありますが、最高の踊りは Academia で見られます。このアカデミアとは私たちの Palais(パレイ。ダンスホールのこと)に相当します。 アカデミアの数はパレイ程多くなく、通常はパレイよりも小さいです。

 

キューバに来る訪問者達は概ね、私たちのボールルーム・ルンバを踊っていましたが、キューバの人達はこれをアメリカンシステム(American System)と呼んでいます。彼らは自分達の踊りをシステマ・クバノ(Sistema Cubano/キューバシステム)と呼んでいますが、私が持ち帰ったのがそれです。これは今まで出会った中で最も魅力的なボールルームダンスです!

 

システマ・クバノのは、勿論、私たちのアメリカンシステムと多くの類似点がありますがリズムは異なります(システマ・クバノは「オフ」ビートで踊ります)。幾つかの動きはややジャイブに似ていますが、ジャイブはキューバのボールルームでは知られていません。ルンバがジャイブの影響を受けていると想像したい人たちには、この点を覚えて置くべきでしょう。

 

キューバで踊られている唯一のフォックストロットは、私たちのリズムダンスとよく似ています。パソ・ドブレは広範囲に演奏されており、非常にシンプルな形で踊られています。ダンスのプログラムの約80%はキューバ音楽です。

 

私はキューバとアメリカ合衆国におけるルンバの競技大会の審査方法について、とても興味深く有用な情報を得ることができました。

 

採点はオリンピック・ポイント制で行われ、リズム、ポジション、正確さ、独創性などに集中して判断されます。それぞれ2から5ポイント与えられており、2は貧弱、3は普通、4は優良、5が最高になっています。

 

キューバのジャッジは踊りのスタイルと踊り方を最も重要視しています。キューバとアメリカのジャッジの両方とも、見せびらかすことにふけたり、これ見よがしの芸当にふけるカップルにはマークダウンするべきであるとの考えを持っています。これは当然ながら、競技ダンスが単調な方が良いとか、生き生きしていない方が良いという意味ではありません。それどころか、キューバのボールルームのエキスパート達のリズムは素晴らしく、彼らのバリエーションは最高に魅力的で、私は彼らのデモに興奮しました。しかし、彼らは常に完璧に自然であり、そして彼らのバランスとコントロールは素晴らしいものです!

 

私は「スター・ボールルーム選手権」(*1) のオーガナイザーからルンバ部門のアドバイザーという栄誉を頂きました。

 

南アメリカのボールルーム・ルンバは盛大な人気があります。なぜなら、それはボールルーム・ダンスに含まれているからです。私はスター・ルンバ競技会の総ての関係者にこの点を明確にすべくあらゆる努力をしました。この原則に従えば、この国におけるルンバは競技会としてだけでなく、スタンダード・ボールルーム・ダンスとしても成功するものと確信しています。

P. Pierre

 

 (*1) Star Ballroom Championships: 手元の資料(’Come Dancing’ 1968年発行)によれば、1925年に ’Star’ Open がウィンブルドン・パレで開催され、翌1926年から1968年まで ‘Star’ アマチュアとプロ部門の大会が行われています。

 

 

■ピエール&ドリスは何度もキューバを訪れたようですが、この映像は二人が1947年に初めてハバナ訪問したときのものです。ペペ&スージー・リビエラ(Pepe & Suzie Riviera)からキューバスタイルのソシアルダンスを習う映像が YouTube にアップされていましたので、ここに記録します。今日のルンバで使われているステップが出て来ますし、踊りがサルサのようにも見えます。

こうした貴重な映像をインターネット見ることができる時代の中にいて、私はとても幸運に思います。そして、貴重な映像をシェアして下さる人がいてとてもあり難いことだと思います。

 

 

2021/04/02 追記

ドリスさんがラテン・アメリカンダンスについて語っている動画です。

 

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ハッピー・ダンシング!