#041 UFO PRODUCTIONの広告(1980)

投稿者: | 2021年11月2日

身辺整理をしていると、1980年に開催された第1回日本インターナショナルダンス選手権大会のプログラムが出てきました。破棄する前に一部を記録します。

 

 

記録として残したいのはプログラムの中にあったUFO PRODUCTIONの広告です。長い間ダンスの勉強に本が使われていた時代にサイレントの映像が入ってきて、それがサウンドを伴う映像になりました。その時代の先端を走った奥村社長の熱いメッセージを記録に残したいと思いました。お気づきのように、このUFOさんの商品は私のユーチューブ・チャンネルにアップしている映像(8ミリ、及び、VHS)で、かつ、このHPでも最大限に使わせていただいています。奥村社長の熱いメッセージの通り、私はこのピーター・エグルトン&ブレンダ・ウィンスレードの映像は永遠の傑作と思っています。

 

※下の画像が読みにくい時は、ここをクリックすると本文書き出しにジャンプします。

 

 

 

 

 

奥村社長の熱いメッセージ本文書き出し

 


 我々が “How to Dance Series(シーリース)”の製作に入ってから4年余になる。

 前作品、“Learn to Dance Latin”にひきつづいて今回の、”Learn to Dance Modern”を製作するに当り、我々が最も慎重を期したのは出演者の選定であった。

 なぜならこれが本映画の成功不成功を決する鍵であり、出演者は次の厳格な難しい条件を備えていなければならなかったからである。

  ― 基本ステップから高度のバリエーションに至るまでを、一様に優れた演技技術及び教授技術で表現出来る事。整ったカプルバランス。世界チャンピオンのタイトル保持や多数の受賞の記録といった輝かしい経歴。教師としてまた競技選手達に対するコーチとして、審査員としての近年の国際的な活躍ぶり。世界のダンスファンの期待に応え親しまれ得る人格と、ダンス界での公正な立場の恒常的維持。正しいダンスの普及のためには自己の蓄積した積年の技術や学識を惜しげもなく一搬に公開してしまう度量と愛情。また撮影陣から要求される苛酷な注文に耐え得る忍耐と協調性。そしてなによりも、その無比の踊りの永遠の新鮮さ ―― 。

 こうした条件をオールラウンドに世界最高に兼ね備えたカッブルと言えば、我々は最初からピーター・エグルトン、ブレンダ・ウィンスレイドの組以外には考えられなかった。 彼等が約一年間の思案熟考の末に、ようやく我々に出演OKの返事を送ってくれた時には、我々製作陣は歓声をあげ正に天にも昇る気持であった。

 こうして理想的な出演カップルは得られたものの、このHow to Danceシリーズの製作は毎回が、我々に新しい試練となった。なにしろダンス教育史上でも初めての試み、即ち ― 基本ステップ重視の、洗練されたシラバスに基づく、サウンドのダンス教育映画の決定版の完成 ― は、以前に同様の映画、”Learn to Dance Latin”の製作経験を得た筈の我々にとっても、また映画史上前人未踏の分野の演技に挑戦するはめとなったピーター&ブレンダにとっても、思いがけない難物となってしまった。

 我々は撮影の場所を変え、日を変え撮り直しピーター、プレンダの完全主義は、同様の傾向を持つ撮影陣との競合となり、編集にも手間どって、製作開始以来完成迄2年を要した。 

最終撮影は、ロンドンのグロベナールハウス・ホテル(The Grosvenor House Hotel)の著名なポールルームを6日間利用し、ここに10.5X18メートルのLODを特設した。我々の撮影記録によれば、ピーターとブレンタの組は、撮影開始以来本映画の17ルーティンを作るためカメラの前で同じダンスを平均16回踊り、最高は29回踊っている。

 本ダンス映画の伴奏音楽とその作曲家の選定も重大な決定事項であった。思いがけなく、アレックス・ムーア(Alex Moore)氏の推薦で、同氏の旧友メイリイ・ヘイマー(Mary Hamer)夫人の奉仕的な賛助を得、彼女の自作自演の曲を録音出来た。彼女を含めたこのシンプルなトリオの演奏が、結果として、本教育映画の製作目的に最適の効果をもたらした。

 メイリイ・ヘイマー夫人。Blackpool市と並ぶダンスの町Liverpool市の最も代表的なダンス・バンドを、29才て亡くなられた御主人の仕事をひきついで、オーナーとして、又バンド指揮者として20年以上も経営してきた方で、ダンサーとしても、アレツクス・ムーア氏とは同氏が17才の時からの知合いであり、同氏の初期のコンペ出場のパートナーであった事からも判るように、英国社交ダンスについては生えぬきの生き字引き的存在である。今はムーア邸の隣のピルに居をかまえ、今なお変らぬポールルーム・ダンスに対する情熱を、グランドピアノ演番の日課に余念ない日々を送っておられる。

 撮影には、前回ラテンダンス製作時の貴重な経験を生かして、監督に英国映画テレビ,アカデミイ(The British Academy of Film and Television Arts)の審査員でもあるAndrew Quicke氏を今回もお願いした。

 さて、こうして出来上がってみると、前回ラテン編でも採用した、角度を違えた2つのカメラの同時録音撮影方式、及びフイルム附属の解説書内容と即時的に対照出来るスクリーン上にスーパー・インポーズされた、使用ダンステクニックを示す記号表示(コード・ナンバー利用)の方式の他に、今回はステップのタイミングをも、そのカウンティングの声と共にスーパー・インポーズしたので、本映画はその利用者にとって(無声映写機の利用者にも)、ステップの分析や、リズムへの乗り方の習得にたいへん便利なものになったと思われる。

 我々は正しい社交ダンス普及の一助となるべく本映画を製作したが、これをどのように活用して行くか、その成果は利用者諸君の手中にある。

 社交ダンスは健康と、楽しみと、自己錬成の為のスポーツであり、調和したカッブルの踊りは、社会の進歩と調和に連がる筈である。

 我々はHow to Danceシリーズの製作を今後も続け、次回作品にはペアの踊りを主体にしたディスコを計画している。

 本映画モダン編の完成に御協力を頂いた前述の方々及び各界多数の方々に対し、特に Gordon Woodridge, Sermol夫妻、Juliet Quicke夫人、私の秘書Carol Martinに対し、深い感謝を表明したい。

        1979年 プロデューサー
            奥村 友邦

 


 

ハッピー・ダンシング!