#039 ルード・バーメイの本 “LATIN”

投稿者: | 2021年10月11日

この”LATIN”が出版された頃だった思いますが、私たちの先生(玉城盛辰・富美子)が「こんなラテンの本があるのだけど、内容を知りたい」と話されたことがあり、英国のDSI社から購入しました。しかしなぜか紛失してしまい、これは2冊目。翻訳はすぐに挫折してしまいましたが、PCに残る極僅かな翻訳文(見直していませんが…)を自分用に記録に残します。

 

(Ruud Vermey著 / 1994 発行)

ルウド・バーメイ(Ruud Vermey)氏は(1953年、オランダ、デン・ハーグ市生まれ)ラテン・アメリカン競技ダンサーの間で最もよく知られている経験豊かなダンス教師です。舞踏研究に関するMA資格(文学修士)をロンドン大学で取得していますが、その前には競技ダンスを行なったりプロとして国際的な演劇の舞台に立ったりしていました。現在はオランダのダンス・センターを経営する傍ら、プロ、アマを対象にダンスを教えています。競技用ラテン・アメリカン・ダンス全般に関わる講習やレッスンを行い、また、国際的なダンス雑誌に記事を提供しています。

 

 

LATIN 
Thinking Sensing and Doing In Latin American Dancing

 

 

 

謝辞(Acknowledgements)

私はダンスの現役時代に教わったラテン・アメリカン・ダンスの師であるウォルター・レアード(Walter Laird)氏に大変感謝しています。彼は私のラテン・アメリカン・ダンシングに対する考え方に大きな影響を与え、確固たるラテンの基礎を教えてくださいました。それが後の勉強の基礎となりました。

バレリエ・プリストンーダンロップ博士(Dr. Valerie Preston-Dunlop)にも大変感謝しています。彼は、私が “レバン・センター・フォー・ムーブメント・アンド・ダンス”(Leban Centre for Movement and Dance / London)で勉強していた時の教授で、私の可能性を信じ、ラテン・アメリカン・ダンスを超えたところにある世界を追求するよう勇気づけてくださいました。そのほかにも、哲学者、ライター、振付師、舞踏芸術家など、そうした人々が書かれたものに私がアクセスでき、彼らの世界を知ることができた事ごとに感謝します。ピーター・タウンゼンド(Peter Townsend)氏にも感謝いたします。私に理解を示し、本書で考慮している問題点について、彼の洞察力を持って常に議論をしてくださいました。彼のラテン・ダンスサーとしての踊りや教師として提案してくださったことは大変価値あるものでした。イボンヌ・ファン・デル・ニエットさん(Yvonne van der Niet)にも感謝します。私がこの本を書くにあたり、他のあらゆる仕事のアレンジを請け負い、私に時間を作ってくれたのです。

最も感謝しているのはローズマリー・ブラント博士(Rosemary Brandt MA)です。各章の事項について、あるいは、各章のまとめ方について私と際限なく話し合ってくださいました。本書を出版してくださり、文章に関して様々なアドバイスをしてくださいましたクリストフ・バーグナー社(Christoph Burgauner)にも大変感謝しています。私にとり英語は馴染みある言葉ではあってもやはり外国語です。その英語で私のアイデアを表現するために、色々アドバイスをしてくださった全ての人に感謝いたします。

 

 

前書き(Preface)

この本を書こうと思ったことはありませんでした ―― ある意味、本がひとりでに出来上がったのです! 競技ダンスをしていた時、いろいろ不満に思っていたことがありました。それが私の疑問となり、あるいは、調べてみようという事になったのです。ダンスは単に体を動かすことだけでないことは分かっていますが、では、他に何があるかといえば、まだ良くわかっていなかったのです。そうしたことがラテン・ダンス・インスティチューション(Latin Dance Institution)の設立きっかけになり、それによって、様々な事柄の発見が始まり、ラテン・ダンスが解明され、浮き彫りにされ、理解される工程となったのです。

ダンス全般の勉強を進める中、ラテン・ダンスには実に多くの事が含まれていることがわかりました。この本を通して私が発見したことや喜びで興奮したことなどを、ラテン・ダンスをしている皆さんとしっかり分かち合うことができるでしょう。また本書には、現在の習慣に対する私の個人的コメントも含まれています。

ラテン・ダンス・インスティチューションで活動している私は、デモをしたり、コーチをしたり、教鞭をとったり、振り付けをしたりと、異なる活動をしていますが、それぞれについてどうあるべきか十分承知しています。ここに書いている批評をみて、読者の中には、あたかも自分が個人攻撃されているかのように感じるかも知れませんが、とにかく読み進みそれと直面してください。決して個人攻撃の為に書かれたものではありません。ここでの大切な主旨は、読者の皆さんを無限の題材が存在するダンスの世界に招待し、練習を通じて対話を促すことによりものの見方の基礎と発展を築き上げることなのです。

素晴らしいダンサーたちと素晴らしい先生たちがラテン・ダンスの発展に貢献してきました。そしてまた、素晴らしいダンサーたちや素晴らしい先生たちが今日も貢献し続けています。しかし、この本はそうした人々について語っているわけではありませんし、ラテン・ダンスを賛辞しようとするものでもありません。この本は、ラテン・ダンスの理論を提示するために行なう批判的な調査であり、それ自体が、より素晴らしいダンスの世界の中での指針となり得るものです。

従って、私の意見の中には、自分に甘い考えや個性の表現を理解せず意味のない動きを作り出すような自惚れた考えを入れないようにしなくてはなりません。一貫してそうしなければ、あなたたちは木々の枝葉を見るだけで、その根を見ていないような気持ちになることでしょう。

読者の中には、この本の中にしばしば現れる用語が学術的すぎるように思え、読むのを止め ― つまり、考えたり、感じたり、熟考したりするのを止めて、本来の’動く’仕事に戻ろうとする人がいるかも知れません。ダンスにおける意識的、かつ意図的な体の異なる部位の使い方をする中で、ダンサーは聴衆とのコミュにカーションについて気づき始めます。この本を通して、私は自分で体験した貴重な情報とか私個人の考えを皆さんに語りたいと思います。本書はラテンとして書かれていますが、スタンダードにも共通しているものです。

書店でダンス関連の書物をさがすと、それはバレエやジャズダンスやモダンダンスのものが目に入り、ボールルームダンスの世界として目に入るのはビデオだったり、一般雑誌だったりします。スタンダード、ラテン両方を含む意味でのボールルーム・ダンシングは、非常に高いレベルで踊られているにも関わらず、バレエや他の踊りのようにまともに取り上げられていないのには別の理由があるのかもしれません。

このことこそが、私が長年ダンスについての勉強に着手したりゆうであり、その成果を書き残そうと思ういに至った理由なのです。ボールルーム・ダンシングについて真剣に取り掛かるならば内部から改善することができ、そうすることで、外部からの認識を変える

 

 

概論(Introduction)

この本の内容は読み物としてだけではなく使うことができるという明確な目的の元に書かれています。内容構成とプレゼンテーションでは主たる目的を具体的に示していきます。つまり、ダンスにおける要素を個々に説明したり識別したりする目的のためにだけでなく、他の要素との関わりを考慮することなく何か一つの要素を取り上げることは不可能だという事をしっかり押さえておく必要があるからです。

ダンスの構成要素というものが、構造的なものであれ、政治的なものであれ、哲学的なものであれ、協会によるものであれ、はたまた、個人的なものであっても、それ独自の専門用語を通じて明確な説明がなされています。

よって、あなたが踊るときはあなたが何を作り出したいか、個人で材料を選択することができるわけですが、より多くの材料を知り、より多くの選択肢に精通することにより、あなたが創造する選択肢が増えるわけです。そして、ある特定の組み合わせが成果に、そして、演出に結びつくという事を理解することにより、自分が知覚したものを、どれだけ多く、あるいは少なく、他のものよりも多く表現する ― といったことを完璧にコントロールすることができるのです。与えられた材料で最終製品を作り上げ、与えられた材料への認識が製品を引き立たせるのです。

自分が学び、経験したものを懸命に研究し、伝えようとしましたが、どの主題においてもダンスの本質を捉えることができないというもどかしさ気づいていました。イザドラ・ダンカン(Isadora Duncan)は次のように語ります ― 「私が何を言おうとしているかをあなたに伝えることができたならば、踊ることに意味はないであろう」と。

 

◇ ◇ ◇

 

以上までを、本を再購入した2008年の1月から2月に掛けて翻訳していたようです。僅かな量にも関わらず、翻訳の見直しをしないまま自分用に記録に残しますが、もし、この中の一文でも読者のお役に立つようなことがあれば、嬉しい限りです。

記録用として目次も掲載します。

 

ハッピー・ダンシング!