4章第2話「呼吸して踊る」
前回は「1歩とは」を考え、それをワルツで確認する作業をしていると、あっという間に時間が来てしまいました。千葉ちゃんの入院は1週間。その間サークルは2回しかありませんから、今回で宿題を片付けなくてはなりません。
残りの「タコ踊り」も「呼吸をして踊る」も本当にあほらしい宿題ですが、前回は少し手こずったので、サークルの中には「今日は少し用心しながらさっさと片付けちゃおう」という雰囲気が漂っています。
寿 美: 前回は「1歩とは何か」を考えてワルツで使ってみましたが、今回は宿題の3つ目、「呼吸して踊る練習」から先にやりましょう。
佳 純: 私たちは普段から呼吸していますが、ダンスでいう呼吸って、それとは違うのですか?
寿 美: いえ、同じですよ。
鈴 木: じゃあ、俺たち、ちゃんと出来てるってことなんじゃないの?
良 子: そうさね。息を止めて踊ってたら死んじゃってるさね。
寿 美: その通りなんだけどね…。
ここで、寿美ちゃんは一息ついてから提案を出しました。
寿 美: じゃあ、誰かにワルツでフロアを一周、いや、半周してもらおうかしら。そうね…。
と言って彼女は文ちゃんと悠里ちゃんを指名しました。そして二人は音楽が掛かると踊り出し、フロアの2辺を踊った向こうで止まりました。
寿 美: さて、幸ちゃん、二人の踊りを見てどう思った?
幸 子: 前回「1歩」について勉強したので、動きは格段に良いと思います。
幸ちゃんから「ね?」と振られたみんなも「そう」と答えました。
すると寿美ちゃんは、こっちに戻ってきた文ちゃんと悠里ちゃんに何やら耳打ちを始めました。みんなは何を「こそこそ」しているのか耳をダンボにしましたが、何も聞こえてきません。すると寿美ちゃんが話しました。
寿 美: もう一度、二人に踊ってもらいますので、よーく観察して下さい。では、どうぞ。
ワルツの曲の続きが流れると、二人が踊り始めました。そしてフロアの向こうまで踊ってから、戻ってきました。
寿 美: では、質問です。さっきと、今の踊りを比べて、どっちが良かったですか?
全 員:今の!
寿 美: あら、随分即答ね。私もそう思います。では、何が違ったのでしょう?
全員、ワイワイ話しているだけで、明確に説明することができません。そこで、寿美ちゃんが「直接二人に聞いてみたら?」と促しました。
美 樹: ねえ、今回は何が違ったの?
文 次: 先生に言われて「呼吸を意識して」踊った。
全 員:えっ、それだけ!?
悠 里: それだけなの。吸って、吐いてを意識しながら踊っただけなんだけど、そんなに違った?
美 樹: うん、そんなに違った。すごく良かった。ナチュラルに見えた!
佐 藤: チャミちゃん先生、呼吸を意識するだけで、こんなに変わるんですか! てことは、今までの僕たちは…。
寿 美: その通り。勿論、呼吸はしていたけど、呼吸が浅かったり、時々止めて踊っていた可能性が高いわね。
美 樹: でも、こんなに変わるものなんですか?
寿 美: こんなに変わることを今、二人が証明してくれたでしょ? みんなから見ても踊りが変わって見えたという事は…。じゃあ、踊っていた本人に聞いてみましょう。「悠里ちゃんは踊っている時、文ちゃんのことをどう感じていましたか?」
悠 里: 今回は、ずっと優しい感じで気持ちよく踊れました。
寿 美: 文ちゃんは?
文 次: 僕も同じです。
そういうと、文ちゃんは少し考えてから、言葉を選ぶようにして話をつづけました。
文 次: うまく言えませんが、今回は、なんか、「人」と踊っていた感じ…かな? それと比べると、1回目のは、「ただの物体」ってなっちゃうかも。
悠 里: それ、分かる! そう、ただ動いてるんじゃなく、踊ってる感じがしたわ!
寿 美: ということです。
全員、目を丸くしています。
河 合: 俺たちもやってみたい。でも、どんな時に息を吸って、どんなときに息を吐けばいいとかあるんですか?
寿 美: それは踊っていると分かってくることですが、でも、とてもシンプルな原理はね…。じゃあみんな、私が「せーの」と言ったら、その場でジャンプして下さいね。あー、自分の歳を考えて無理しない程度にね。無事に着地できる程度にね。
ミッチ:ご親切に、どうもね。
笑いが起きたとき、寿美ちゃんが「はい、見学の方もご一緒に!」と声を掛けたものですから、館長さんが反射的に椅子から立ち上がりました。
寿美ちゃんの「せーの」の合図でみんなが一斉にジャンプしました。そして、無事に着地しましたが、なぜジャンプさせられたのか理解できず、みんなが「きょとん」としているところに寿美ちゃんから質問がでました。
寿 美: 今、ジャンプした時、息はどうだった? さあ、思い出して。息を吸った? 止めてた? それとも、吐きながらジャンプした?
こんな質問が来るとは思っていなかったので、みんなは慌てて考えています。何人かはジャンプする格好も取っています。すると、入口の方から「私は吸ったと思います」と館長さんの声がしました。それに促されるかのように、全員からも「吸ってた」の声が出ました。
寿 美: 館長さん、初参加有難うございます(笑)。そういうことです。息を止めて跳ぶこともできますが、吸いながら飛ぶ方が楽に、より高く飛べます。つまり、ダンスでライズするときは基本的には息を吸うのが理に適っていますし、逆にロアーするときは息を吐くのが理に適っています。
この説明に、全員、ジャンプして呼吸との関連性を確かめ出したものですから、一時は、まるで、モグラたたきのような風景になりました。それをニコニコ見ていた寿美ちゃんが話しました。
寿 美: もう一つの実験をしましょう。もう一度文ちゃんと悠里ちゃんに数小節踊ってもらいますが、それが、呼吸している踊りなのか、そうじゃないのか、よく見てください。
そして、文ちゃんたちに「息を止めて踊るか、呼吸を意識して踊るか二人で決めていいからね」と伝えてから踊ってもらいました。
踊りが終わってから、「どうみえましたか」と質問すると、ヤスが答えました。
ヤ ス: なんかさー、息止めてるように見えたんだけど。
他の人たちからも同じ声が上がったのを聞いて、悠里ちゃんが嬉しそうに「大正解!」と言いました。
寿 美: 凄いじゃない! 凄いのは、そうした違いが分かる「目」をもったという事よ。自分を沢山褒めてあげて下さい。
たちまちサークル員たちの間で、踊っている人の呼吸の「当てっこゲーム」が始まりましたが、高い確率で当たるのですから、彼らの興奮は収まりません。
これまで、踊っている人の背中から「そんなこと」まで分かるなんて事を考えたこともなかったので、みんなは未知の専門分野に足を踏み入れたような、とても誇らしい、そして、とても愉快な気持ちになっていました。もうひとつ、宿題が残っているのも忘れて…。
「北国ダンサー物語」(作:神元 誠)