3章第11話 すし屋で
8月、9月、10月とフォーメーションの練習は順調に進んでいます。と言っても、アイディアの湧いた所だけの部分練習に留まっていますが、それでもメンバーは嬉々として取り組んでいます。
そんなある日、さとしちゃんが「一緒に昼飯食いにいかないか?」と、あまり外食をしない千葉ちゃんたちを寿司屋に引っ張りだしました。海に面した街ですから旨い寿司にありつけそうです。
さとしちゃんが暖簾をくぐってドアを開けると、中から威勢の良い声が飛んできました。
親 父: らっしゃい!
さとし: 親父さん、お久しぶりです。今日は友達と一緒。
親 父: あれ? もしかして、社交ダンスの?
さとし: どうしてそう思うの?
親 父: 何かしら、雰囲気がねぇ。ま、立ち話もなんですから、座ってくださいよ。ご注文が決まりましたら声を掛けてくださいね。
さとし: もう決まってるって。いつものカツ丼4つね。
親 父: 了解! カツ丼4つ!!
すると、少し離れた所から「その手は食いませんよ」と言う声がしました。声のする方を見ると知らない若者がこっちを向いていますが、彼が話した感じには見えません。でも、彼と向き合って座っている人の背中が笑って揺れています。
さとしちゃんが声を掛けました。
さとし: さっきから分かってるって。あのときのお兄ちゃんだろ(笑)。
すると、若者はスッと立ち上がり、振り返るとニコニコ笑顔を見せてから深々と頭を下げました。
旅 人: お久しぶりです! 偶然にもまた皆さんとお会いできて嬉しいです。
さとし: 久しぶり! 元気そうだなー。
旅 人: 去年はとんかつ屋でご馳走になりました。有り難うございました。それにしても、寿司屋でも同じようなギャグを使っているんですね(笑)。
さとし: 悪かったな(笑)。
旅 人: 実はそのギャグ、私も帰ってから地元で使わせて貰ってます。結構ビックリする人がいて、楽しんでます。
さとし: それは良かった。使ってくれ。それにしても、大した変哲もないこの街に今年も寄ってくれてありがとね。
旅 人: 去年は誰かのブログを見て来てみたくなったのですが、来てみて正解。この街が好きになったので、今年は友達を誘って来ました。
さとし: まった上手いこと言って、また奢らないといけないなー(笑)
旅 人: いえいえ、今度は僕に奢らせてください。
さとし: バカ言え。若者に奢って貰ったら年金生活者の名が廃るわ。そんな金あったら旅に使え。
そんなやり取りの中にすし屋の親父さんが入ってきました。
親 父: みなさん、私がサービスするということで話を納めてくださいな。はい、これをどうぞ。
そして親父さんは、若者たちのテーブルとさとしちゃんたちのテーブルに刺身が盛られた皿を差し出しました。
旅 人: うわー、いいんですか!? ありがとうございます。これは何の刺身ですか?
親 父: クリオネですよ。
全 員: えっ? ええええーー!
親 父: あははー! 冗談ですよ。これは 今朝、倅が灯台で釣ったヒラメの刺身です。皆さんの再会を祝して召し上がってください。
みんなは口々に「あー、びっくりした」、「すみませんね」、「頂きます!」などと言いながら箸を運ぶと、「うまーいー!」、「おいしい!」の声が上がりました。でも、一人だけ さとしちゃんが、渋い顔をしています。そして言いました。
さとし: 親父さん、これ、ほんとにヒラメ?
親 父: なんてことを!
さとし: なんかさぁ、カレイの気がするなあ…。
親 父: あんた、バカじゃない。
この話の展開に他の人たちは驚いています。お店の人がお客さんに対して「バカじゃない」と言う事など考えられないことです。すると、親父さんがしかめっ面して言いました。
親 父: あんたがそこまで言うんだったら、これでどうです?
と言ったかと思うと、不機嫌な態度で器の「向き」をひっくり返したのです。
親 父: ほら、食ってみな!
それを食べたさとしちゃん ――
さとし: うん、これならヒラメだ! 親父さん、ごめん。
なにがどうなったのか分からず、沈黙している他の人たちに親父さんが言いました。
親 父: 「左ヒラメの右カレイ」。なんなら、も一度カレイにしましょうか。一瞬で戻せますよ。
まだ意味が分からず、若者二人は刺身を咥えたまま固まっています。
親 父: あっ、これは私たちのいつものギャグですから、心配しないでくださいね。
と、大笑いする親父さんとさとしちゃんでした。
旅 人: やっば! 『左ヒラメの右カレイ』はそんな意味じゃないって分かってたのに、引っかかったわー!
さとし: 引っかかった(笑)?
旅 人: はい、見事に(笑)!
さとし: よし!
旅 人: この街はどこに行っても油断禁止ですね(笑)!
店は大笑いに包まれました。
賑やかなランチタイムが終わると、旅人たちも一緒に店の外に出ました。若者二人は深々と頭を下げてお礼を言うと、名残惜しそうに振り返りながら歩き始めました。去年ネットに「北海道を回るのなら黒池町へ行ってみては? ほんわか面白い体験が待っているかも知れませんよ」と書いていた人も、こんな愉快な体験をしたのでしょうか?
「それにしても…」と若者は思いました。
「人を好きになると、その人の街も好きになっちゃうんだなー」と。
道の向こうに広がるオホーツクの海がキラッと光りました。
「北国ダンサー物語」(作:神元 誠)