1章 かくしてダンスが始まった
これは、オホーツ海に面する黒池町(架空の街)を舞台に繰り広げられる、元若者、現・年金生活者による真剣な社交ダンスのドタバタ劇である。
◇ ◇ ◇
もしここに
あの一枚の写真がなかったら
僕たちはみんな
同じ夢を見たんだね、と
笑い合うに違いない。
それほど、すべてが
夢のような出来事だった。
◇ ◇ ◇
第1話 海を見下ろす崖の上で
千葉大輔が妻を連れ、故郷、黒池町(架空の町)に戻ったのは、まだ風も冷たい4月のことだった。東京の仕事を退職したら生まれ育ったこのオホーツクの故郷で老後を過ごすのが彼の夢だったのだが、退職してから少し年月が過ぎてしまっていた。オホーツクの海は一年中くすんだ色をしている。白波を受けてどこまでも続く砂浜も灰色だが、その海が好きで戻ってきたのだった。
この数日、千葉は引っ越しの片付けの合間を見ては散歩がてらに崖の上に来ては、故郷を離れていた時間を取り戻すかのように、じっと海を見つめるのだった。気がつくと、後に誰かが立っていた。それは幼馴染のさとしちゃんだった。
【人物紹介】さとし:藤井聡。千葉とは小学入学前からの親友。
さとし: やっぱここか。奥さんは?
千 葉: 寒いから家だ。海はいいなー。誰のものでもない、自分の物って思えちゃうしなー。海はいいよ。
さとし: …だよな。ところで、今晩飲み会しないか。仲間に声かけるからさ。奥さんも一緒に。
千 葉: そんな急じゃ集まれんべさ。
さとし: なんもだ。みんな来る。
千 葉: じゃあ、行くわ。
さとし:数名だけどさ(笑)。 7時な。
千 葉: なんだ、それだけの話だったら電話で良かったべや。
さとし: 俺も海を見たかったのさ(笑)。という事で、先に帰るわ。じゃな。
千 葉: じゃな。
さとし: じゃな。
千 葉: これじゃ、小学校の時と同じ別れ方だな。
二人は笑った。
第2話 居酒屋「いらっしゃい」
黒池町にも、なぜか銀座通りがあり、その中ほどにある居酒屋「いらっしゃい」は黒池高校元3年F組メンバーの集合場所と決まっている。暖簾をくぐって千葉と奥さんが店に入ると、座敷には6名が集まっていた。
千 葉: おっ、久しぶりー!
全 員: わー、久しぶり! 座って、座って!
千 葉: みんなすっかり変わっちゃって、全然分かんないぞ。(笑)
全 員: お宅こそ、どなたでしたっけ?(笑)
千葉が最後に黒池町に帰ったのは25年も前の母親の葬式の時。ここに集まってくれた仲間達と会うのも、それ以来になるので、その分老けてしまっているは仕方のないことだ。千葉が一応、顔と名前を確認する度に笑いが起きた。そうこうするうちに、飲み物が行き渡ると、さとしが話し始めた。
さとし: 最初に千葉ちゃん、うちの奴、都合悪くて来れないんだ。ごめんね。さて、皆さん、他でもないんだけど、千葉ちゃんがこの町に、しかも奥さん付きで戻ってきたので、今晩はその歓迎会です。初めての人もいると思うので紹介すると、隣が奥さんの寿美さんです! はい拍手! 寿美さん一言お願いします!
寿 美: 初めまして。みんなさんのお話は主人から聞いていたのでお会いできてとても嬉しいです。この度は歓迎会を開いてくださってありがとうございます! 北海道で暮らすのは初めてなので、よろしくお願いします。
さとし: 困ったことがあったら、遠慮なく僕のところへ来てね。(大笑)
加 藤:余計な事話してないで、はよ、乾杯!
さとし: それじゃ、乾杯!!
乾杯が終わると、話はどんどん盛り上がり、巻き込まれた寿美は早くも「チャミちゃん」と馴れ馴れしく呼ばれていた。そこに、さとしが再び口を開いた。
さとし:えー、実は、ここにいるメンバーとは頻繁に飲み会してます。みんなも退屈しちゃってるから、集まればいつも「なんかやりたいなー」って話が出るのであります。結婚して、まあ、離婚したのもいるけど、子育て終わって、定年になったら、なーんもすることない。
加 藤: 昔みたく「皆でなんかやりたいなぁ」って話が出るんだけど、その「なんか」が出てこないんだなあ、これが。
【人物紹介】加藤政明。秀才。スナックではチーク専門。
千 葉: 冬は流氷で遊べばいいべさ。
さとし: ばかたれ!1回落ちたら充分だって。
千 葉: あれはびっくりしたな。さとしちゃんたら、俺の後ついて来てたのに、ちょっとフェイントかけたら、そっちに跳んじゃうんだもんなぁー。
さとし: フェイントはないべさ。慌てたぁ。ガバッて、必死に流氷にしがみついてよ。
千 葉:悪かったなー。砂浜に戻って、「早く帰ろう」って言ったら、「ダメだ!母さんに叱られる!」てなー。「じゃあ、どうする?」って聞くと「ズボン擦って乾かす!」って言うから…。
さとし: 2人で必死にズボン擦ったけど、摩擦じゃ乾かないもんだな。(笑)
美 和: そんな危ないことあったの?
【人物紹介】渋沢美和:高校卒業後、札幌で会社勤務。40代に帰郷。
千 葉: そしたら叫ぶのよ、「千葉ちゃん、ちんちんない!」ってなぁ。
さとし: いやいや、あの冷たさで見事に息子は行方不明よ。あれから、そのまんまだ。お前のせいだ。流氷ごっこは止めとくべ。こいつ、ほんと悪い奴ですよ、チャミちゃん。(笑)
勿論、流氷で遊ぶのは固く禁止されているが、千葉たちは寒い冬の海で、ちょいちょい海岸沿いの流氷に乗って遊んでいた。厳しい寒さが揺るぎ、流氷が沖に戻り始めると、流氷の隙間に現われる青い海の色は最高に美しかった。その頃が流氷遊びに最適で、その頃にさとしが「ちょっとだけ」落ちた。

その頃の流氷のイメージ
ここで、この物語から離れる余談ですが、かつて友達から、このような悲壮な体験談が私に寄せられてきました。
「高校時代、9月の初旬の話し。学校の帰り4~5人で「海に行くべ」という事になった。海へ行くと「海に入るべ」と言う事になり…。いやー、冷たいを通り越して痛い! 数分入ったら皆の唇が紫色。ガクガクと震えていた。
さて、本題だが下半身に異変が…。チンチンが痛いのだよ。それも激痛なんだ! 恐る恐るパンツを開けて覗いたら、無い、無いんだ! 本当にない。元々小さいのに、お腹に食い込んだんだ。女の子になった。」 ―― と。
9月の海でさえ無くなっちゃう位だから、流氷の海に落ちたらどうなるか、男には、想像するだけでも恐ろしいことです。
さて、バカな(でも、真実)話はこのくらいにして、場面を物語の居酒屋に戻しましょう。
(つづく)
「北国ダンサー物語」(作:神元 誠)
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