声帯手術後のライザ・ミネリの公演について書いている時、ガンを患っていたオリバーはどんなことを考えていたのでしょう。きっとこの本に着手した時から、「生きるとは何か」という哲学的な事を考えていたのではないでしょうか。そんな気がします。
【目次紹介】
“Music Was My First Love”
初恋は音楽
13-4. ライブコンサート/ライザ・ミネリ
Live in Concert
LIZA MINNELLI (* 12.3.1946)
ライザはすでに何度か観ていましたが、その夜は、何年にもわたってライザの叔父のような存在であった彼女のパフォーマンス・パートナーたちとの組み合わせと、これから私が書いていく出来事が実に特徴的でした。更に加えて、ライザ・ミネリのコンサートで私が忘れられない 2つの出来事についてお話します。
ライザは、アルコールや薬物に通常より依存していた時期があったため、リハビリ・クリニックに通う必要がありました。彼女の最大のヒット曲のひとつに、アカデミー主演女優賞を受賞し映画「キャバレー」のタイトル・ソングがありますが、その「キャバレー」な中では、薬物とアルコールで亡くなった友人のエルシー(Elsie)を歌っています。
歌詞は、彼女が死ななければならないときは、友の死に方とまったく同じでなければいけないという意味の、「私が行くときは、エルシーのように行きます!(”When I go, I am going like Elsie!”)」 ですが、ロンドン公演で彼女は、そのセリフを少し変えました。聴衆は彼女がドラッグを克服したことを知っていると完全に認識していたので、こう変えたのです。
「私が行くときは、私はエルシーのようには行きません!」
アルバート・ホールの聴衆が皆、ドライアイではなかったと信じています!歌詞の変更、その瞬間の雰囲気、そしてこの世界的なスターの驚異的なパフォーマンスに、見ている人たちは涙したのでした!
二つ目の出来事は、デュッセルドルフのホール、フィリップスハーレ(Philipshalle)でのことでした。彼女は長いインタビューの中で、「キャバレー」を歌うのはもう耐えられないと公言したのですから、新聞は「ライザ: ネバー・アゲイン・キャバレー!」の見出しをつけました。
彼女は高く評価されたミュージカル「キャバレー」の曲を歌わずにコンサートを行いました。そして恒例のアンコールになると、アカペラで、「キャバレー」の最初の行を囁くように歌い出しました。言うまでもありませんが、その囁きはフィリップスホールの天井を突き抜けました。
2度目のアンコールになると、キャバレーの背景にいたクリエーティブな人たち、作曲家と作詞家のジョン・カンダー(John Kander)とフレッド・エブ(Fred Ebb)について語り始めました。彼女は二人に、彼らの最新曲を紹介すると約束してきたことを皆に話しました。新曲ですから、これまでおそらく誰も聞いたことのないものです。でも、誰も聞いていなというのは少し違っていて、最初の数音は”New York, New York”のピアノ部分と同じでした。
この”New York, New York”が、同名の映画でライザ・ミネリのために特別に書かれたことを知っている人はほとんどいないと思います。ほとんどの人はそれがフランク・シナトラのために作曲されたと思っているのではないでしょうか。
目の当たりにした特別な瞬間、その3つ目は実に感動的でした。ドイツのケルンで開催された夏の野外音楽祭のことです。ライザ・ミネリは、海外から只一人のゲストでした。この時までには既に、あらゆる関連雑誌によって、彼女が声帯手術を受けたばかりであることが報道されていましたが、彼女はプロですから、とにかく出場しました。彼女が連れてきた男性4人のバック・コーラスは、ライザの声が出ないと気付いたとき、あるいは、単に彼女を安心させるために、いつでも彼女のボーカルに入ってくることが許されていました。
休憩時間に入ると、ライザを知らない多くの人は大声で不平を言いながらコンサートを後にしましたが、ファンと好奇心旺盛な人々はショーの第2部に留まりました。実際の所、ライザの歌はほとんど音を外していましたし、声はかすれ(話すときはもっと!)、高音域では自分を痛めつけていました。やがて最後の歌としてキャバレーを歌い出し、あの「私が行くとき…」の部分が来ました。
この歌を覚えている人なら誰でも、特に「行く(go)」の言葉を高音で、数小節に渡って伸ばしていることを知っているでしょう。基本的に彼女はここで精神的に引き締め、力を集めるためだけに「I(私)」という言葉の後、ポーズとりますが、この時は、異常なほど長いポーズを取り、残っているエネルギーを最大限の集中力で高めたのです。この時私は、ショービジネスの世界ではなく、スポーツでしか知らなかった何かを経験しました。観客から大声援が上がりました。「ライザ、ライザ…」 の大合唱が彼女を励ますと、他の者たちがその先を叫びました。「さあ、ライザ! あなたなら必ずやれます! 信じています!」
数秒間、誰もが息を止めているように見えました。突然、ライザは屈んだ姿勢から身を起こし、上を見ると、ひとつの音を体中から叫び出しました。ガラスのように澄んだ、震えもない、嗄れてもいない声で、私が覚えている限りでは一番長くその音を出し続けると、ライザ・ミネリの頬を涙が伝い続けました。私たち聴衆も涙を抑えることができませんでした。
彼女はやり遂げたのです! 自分自身とその状況に打ち勝ったのです!この小さな奇跡を目の当たりにすることができた私たちは幸運でした。これこそ真のエンターテイメントです。最善を尽くしたい、必要ならば、すべての恐怖を克服したいという絶対的な願い。これまで述べてきたどのスターという事ではなく、すべてのスターに共通しているのは、どの場面でも、彼らの演奏に対する情熱が際立っていることです!
ロンドンで行われたこの「最上級のイベント」の30分間のインターバルが終わると、私が長い間待ち焦がれていたものがやってきました。観衆は興奮しながら彼が現れるのを待ちました。(これは次のフランク・シナトラにつながります)