FL16 初恋は音楽 10. わが師、フレッド・アステア

投稿者: | 2023年1月27日

 ―― 私は思ったように素早い動きができないとき、自分にいらだつことがしばしばありました。しかしそうしたことはフレッド・アステアを深く知るようになってすっかり変わりました。 ―― 

 

目次紹介

“Music Was My First Love”
初恋は音楽

 

10. わが師、フレッド・アステア
 My Teacher Fred Astaire 

私は思ったように素早い動きができないとき、自分にいらだつことがしばしばありました。しかしそうしたことはフレッド・アステアを深く知るようになってすっかり変わりました。彼は私に新しい道を示してくれたのです。私は彼の自伝「Steps in Time」を繰り返し何度も読みましたが、それだけではなく、他のあらゆる彼に関する書籍も購入して読み漁りました。加えて、TVではフレッド・アステアの貴重なインタビューや、仕事の同僚、映画のパートナー、監督、プロデューサー、そして友人たちのインタビューも良く放映されていましたが、そうした中の一つの忘れられない話が、辛抱の足りなかった私をハードワーカーに変えました。

 

それは、フレッド・アステアの映画「ファニー・フェイス(Funny Face)」のリハーサル中の話です。相手役はあの可愛らしいオードリー・ヘップバーンで、フレッド・アステアは一人で踊り、オードリー・ヘップバーンの気持ちを盛り上げて、彼女を口説こうとする場面でした。そのシーンはとあるホテルの中庭で行われ、その時のナンバーは “Let’s kiss and make up”(意味:キスして仲直りしよう)です。このソロ場面では、彼のコートや傘、セットの飾りなどたくさんの小道具が使われているのですが、牛を運んでいるトレーラーが通過して行くとき、フレッド・アステアは彼のコートを裏返しにしたのです。コートの裏地が赤だったので、彼は闘牛士を真似たのでした。パソ・ドブレを踊る人は是非このシーンを見てください。きっと学ぶことがあると思います!彼は傘の使い方もいろいろ変えて行きます。牛を刺し殺す剣にしたり、ゴルフクラブにしたり、また、踊りのステップをリズミカルに見せるためにも使っています。

この傘を使った踊りの最後の方で、放り投げた傘がすっぽりバケツに柄が上になって入るシーンがあります。現代の映画なら、こうしたシーンはCGで作ったりテープを上手くつないだりするでしょうが、そうした技術のなかった当時、アーティストたちはそうした演技を完璧に行なわなくてはならなかったのです。

 

 

そのような訳ですから、報道関係者はフレッド・アステアのリハーサルを見てインタビューしたかったに違いありませんが、彼はリハーサル・ホールには誰も入れませんでした。それが彼の方針で、リハーサル中はあらゆる人を締め出し、そのシーンの撮影ができるようになったと判断した時点で初めて助監督を呼びました。フレッド・アステアはこう語っています ― 「歌も曲芸っぽいことも50回連続間違いなくできるようにしなければなりません。それができるようになると私は家に帰ります。翌日、撮影会場に戻り、1回目で間違えることなく演技ができたら、一つひとつの動きが自分の体と一体化し、動きのパターンが自分の物になったと感じることがきます。総てが自動的に自然に行なえるようになって初めて私は、シーンのセットをして撮影をするようスタッフに頼みました。そうでなければ、総てが時間の無駄になってしまいます。自分のパートを1回で完璧にできないからといって、上手くできるまで何度も何度も撮影して貰うなんてことはできません。私には彼らのスケジュールを無駄にする権利など持っていないのですから!!」

フレッド・アステアのモットーを私たちの競技会に置き換えてみると、なんとも心苦しい感じになるでしょう。

 

あるカップルが自分たちの振り付けやその一部をフレッド・アステアが語ったように正確かつ完璧に踊ろうとしたとしましょう。すると、今まで目についていた多くのぎこちない動きから解放され、カップルとしての踊りは遥かに良く見えるようになることでしょう。これは保証します。なぜなら、二人はきちんとできるようになったステップで踊るからなのです。こんないい話はありません。夢がかなうのですから! 

そんなカップルを擁護するために、私自身の経験をお話ししましょう。とても素晴らしいダンサー、ウィリアム・ピノ&アレッサンドラ・ブッチャレーリ(William Pino and Alessandra Bucciarelli)と一緒に仕事をするようになってから、彼らの振り付けの殆どは私がしました。セグエやショーダンスなどは通常1年前から振り付けを行なって練習を開始します。従って、実際の公演までには、その振り付けはカップルの一部になるだけの時間がありますし、さらに「神経」にもなっています。つまり、実際に踊りの中に、自由と無理のない自然さがが現れるのです!

 

レーズンが入っているケーキがあります。でも、総てのケーキにレーズンが入っているわけではないので、レーズンの入ったケーキは例外的なものです。私はもう一つ学びました。それは私たちのダンスでも、口を開けているだけでフライド・チキンは飛び込んでこないことです。ある動きがシンプルで簡単そうに見えれば見える程、それは大変な練習をしてきた印です。動きの中のひとつひとつが自分の体の一部となっているので、外から見ても、そこを別に練習してきた動きとは見えないのです。観衆を沸かせるトリッキーなステップがありますが、そうしたものは例外です。

 

幸いなことに、この素晴らしい世界に長い間身を置いてきたお陰で、オランダ出身のルディ・カレル(Rudi Carrell)氏と知り合いになることができました。彼はヨーロッパ・ショーダンスの巨匠として最もよく知られています。その彼は、「TV生放送中には予期せぬことが起こりますが、そうした事態にあっても、どうしてそんなに自然に対処できるのですか?」と質問した私に次のように答えてくれました。

「自然に? それは袖に仕込んだエースを引き出してくるだけださ」と。これは、いかに懸命に準備し、プロとして備えているかを物語っています。そのようなことがあった翌年からの私の大きな目標は、いかに自分の踊りを簡単そうに見せるかに変わりました。勿論トリッキーなステップのことではありません。そんなとき、サミー・デイヴィス・ジュニアの書いた本から「自分を観衆より上に置くのはよくない」ことを学びました。サミーはこう言うのです ― 「見ている人たちにゆったり楽しんでもらおう。けっして教育しようと思わないこと」。

サミーやシナトラを見ているとよくわかるのですが、エンターテイナーにはこんな芸当があります。バースツールに座り、飲み物を飲み、タバコに火をつける。

観客は、まるでエンターテイナーのリビングルームにいるような気分になる筈です。観客椅子に寄りかかってリラックスすると、パフォーマンスを心から楽しむことができます。リラックスしたムードで拍手もしやすくなります。でも、バレエを観るときは違います。バレエダンサーには自分にはできないことを期待します。バレエダンサーたちの肉体が汗と涙と血の出るような厳しい稽古を山ほどしてきた中で作られているのは、誰の目にも明らかです。そしてそれは、バレエを見る側の大多数の人たちの体とは全く違います。

競技ダンスにしても一般のボールルーム・ダンスにしても、長年の努力と鍛錬があったにせよ、見ている人たちが少し練習したりレッスンを受けたりしたらあのくらいできると思わせるものでなければなりません。つまり、観衆にそうした幻想を抱かせるまで練習しなくてはならないのです。ジーン・ケリーは雨の中で踊ったりソファーを飛び越えたりして、みんなを喜ばせたのです。

ちょっと比較してみましょう。マイケル・ジャクソンの動きはすぐに真似できると、どれだけの若者が彼に様に踊ろうとしたでしょう? あなたも今度、ディスコでそれを試してみてください。1970年代、ジョン・トラボルタのように白ズボンと黒シャツで出かけなかった若者がいたでしょうか? そして、自分を振り返ったとき、どれだけオリジナルからかけ離れているかに気づいたはずです! ここで、すべての若いダンサーにアドバイスしたい点は、動きをどれだけ早く習得するかどうかは重要ではなく、 それより、あなたが既にマスターしたと思っている動きが、体のシステムに組み込まれ、何も考えずに出てくるようになるまで、何千回、何万回と繰り返すという野心を持つことです。それはしばしば退屈で神経をすり減らす作業となるかもしれませんが、そうして習得したことは、極度にストレスがかかる場面(例えば、競技会、ショー、または筋肉疲労や病気でパフォーマンスレベルが低下した場合など)でも実行できるという利点があります!

 

私のどの先生も、私の最大の強みは音楽性にあることを強調してくださいました。そして技術的には、自分でも自負している正確なフットワークがありました。もうお気づきでしょうが、私の人生において音楽は大きな役割を担っています。それがこの本のタイトルの理由であることは明白です。私にとっての音楽は、例え近距離でも、音楽なしで車を運転することは考えられないほど重要なものでした。私の最初の車は映画のハービーと同じでラジオしかありませんでしたが、ラジオに頼るということは殆どありませんでした。

1979 年 9 月 30 日から毎週日曜日、ハンブルク近くのピンネベルク(Pinneberg)までビートルを運転しなければなりませんでした。そこで軍隊の基礎訓練を受けなければならなかったからです。 家に帰る金曜日の午後は、エルブトンネル(Elbtunnel)で絵のように見事な交通渋滞が発生し、その先、何キロも耐えなければなりませんでした。当時、カセット再生ができるポータブル・ラジオを持っていましたので、これは前述のような長旅に重宝しました。好きな音楽や好きなミュージシャンの音楽をいつも手元に置き、自分の音楽を楽しむことで発見したことがあります。それはひとつの曲を聴けば聴くほど、より多くの詳細を識別できるようになったことでした。

その頃から、リード楽器やボーカリストがメロディーに専念している間に、オーケストラはどんなことができるのだろうと空想するようになりました。これは、シンプルなメロディーから、自分のアイディアをふんだんに盛り込むアレンジャーという職業への準備としては、基本的は完璧なものでした。それは、音楽を良く表現できるダンサーになるための良い準備でもありました。音楽を聴くことはとても重要なので、優先順位が高くなっていきました。音楽を聴けば聴くほど、自分のためになるのでした。

 


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