FL15 初恋は音楽 9. 進歩

投稿者: | 2023年1月20日

「私の青春時代は多くのことで埋め尽くされていました。練習場に頻繁に通い、できるだけ長く居ました。当時、S級という一番上のクラスの選手が15組もいたので、そうしたカップルの練習風景を見ているだけでも、元が取れました。」

 

目次紹介

“Music Was My First Love”
初恋は音楽

 

9.進歩
Progress in the career

 

私の青春時代は多くのことで埋め尽くされていました。練習場に頻繁に通い、できるだけ長く居ました。当時、S級という一番上のクラスの選手が15組もいたので、そうしたカップルの練習風景を見ているだけでも、元が取れました。

私が通うクラブにウルフガング・オピッツが教えに来る日があり、そんな日は最高でした。学校からバスでクラブの練習ホールに直行し、あらゆる個人レッスンを見学していましたので、翌日の夜の練習で、ウルフガング・オピッツから個人レッスンを受けていたカップルから、昨日はどんな注意を受けたか忘れてしまったので教えて欲しいと相談を受けることがありました。何組からも、です。そんなわけでS級の人たちは、私が必ずあらゆる情報を吸収していると思っていましたし、実際、全部覚えていました。それは、他の人の役に立っていたのと同時に、自分のダンス向上にも役立てていたので、当時から私はダンス気違いと思われていました。しかも、単なる練習にスーツケース一杯に詰め込んだレコードを持ち込んだりしたものですから、完全にそう思われていました。

私は学校の宿題が済むと、フラットの中で踊っていました。正直なところ、宿題を忘れて踊っていることもしばしばあり、困りましたが、踊らない時は、レコード店に行きました。頻繁に顔を出していたものですから、その内に専任スタッフが付き、いろいろ視聴させてくれるようになりました。もうひとつしていたことは、自分の好きなアイドルの本を探して読みました。ミュンスターにはその種の本を扱う店は一店舗しかなく、しかも、限られたものしかありませんでしたが。

映画界の専門誌を手に入れるようになったのは、ダンスでロンドンを訪れるようになってからのことでした。その専門店はトッテナム・コート・ロードから入った路地にあり、そこで古い本も買い求めました。かつてのスターたちがいかにしてスターになり得たの、また、どのように彼らの才能を示したのかは、私の大きな関心事でした。

 

それは私たちのダンス界でも同じではないでしょうか? どのダンサーも基礎として学んだポスチャー、ムーブメント、そしてダンスに特化した足と脚部のアクションというツールを身につけ、それらを駆使して個性を出し、あるものはトップに立っているのです。

今日の踊りをみると、残念なことに、皆同じようにしか見えません。正直な所、そうしたかわいそうなカップルたちは、ジャッジの目を引きマークを入れてもらうことしか眼中に無いように思えます。みんな、優勝した人たちの真似をしていますが、本当にしなければいけなのは、自分自身のツールを使って違う所を見せることではないでしょうか。(フランク・シナトラは決してビング・クロスビーの真似をしたいと思っていたわけではないでしょう!)

ですから、例えば私がジャッジをしていても、最終的には優勝者するようなカップルであってもマークを入れず、ベーシックが良くできていて、何か個性的な踊りをしているカップルを選ぶということを、大きな競技会でも時々していました。今でもそうです。何がきっかけで人が大きく変わるかを知りたくて、私はそうした有名人について書いた本を読んだり、一つの分野でトップに上り詰めた人が書いた本を読んだりしました。

 

18歳の時です。私の運命は二人の人たち ― 歴代の中でも、最も成功したダンサーであり、かつ、トレーナーだったカップル ― スコットランド出身のビル・アービンと南ア出身の奥様、ボビー・アービンの手に委ねられました。

それはきっと、お互いに一目惚れみたいなものだった気がします。少なくとも、私たちは同じ波長があったと思います。そうしたことは先生と生徒の立場の時に、頻繁に感じられた訳ではありませんでしたが、二人は私に理論と実技を通してボールルーム・ダンスの踊り方を教えてくれました。ダンスに必要なノウハウを教わりました。何故このテクニックがこのように発展してきたのか、なぜ違う方に発展しなかったのかといったことです。教えて下さったテクニックの細部に対する二人の姿勢は非常に厳しく保守的でしたが、それは、とりもなおさず、最終的に、私に自由を与えたいという考えがあったからです。

 

ビル&ボビーは、カップルとして100%完璧なバランスにあるときにだけ自由に即興的に踊りを楽しめることを知っていたました。なぜなら、そのバランスにあれば不必要な力を使うことなく、それぞれが立っていられるからです。それが遂にできるようになったとき、ビル&ボビー、偉大なカール・ブロイアー、そしてウルフガング&エヴェリン・オピッツ夫妻が励まして下さいました。自分の音楽性を存分に使いなさいと!それが他のカップルたちとの大きな違いをもたらす利点となることを、彼らは認識していたからです。テクニックは懸命に勉強すれば習得できますし、ある程度の音楽性も勉強で得ることができますが、人より際立つ音楽性となると、それは既に自分の血の中に感じられているものなのです。

ある意味、彼らは自分たちのライフワークの継承者として私を選んだのでした。そうであるからして、ある意味では私の最初の本となる「アービン・レガシー」は彼らの遺産を継いだ「聖杯の後見人」的なものといえます(近いうちにドイツ語で、しかもペーパーバックで出版される予定です)。同じタイトルのDVDも制作しました。このDVDでは、私の大好きな生徒で非常に音楽性豊かなウィリアム・ピノ&アレッサンドラ・ブッチャレーリ(William Pino & Alessandra Bucciarelli)に手伝って貰いましたので、アービン夫妻が魅力的に踊っていたテクニックの原理と基本を見ることができます。ボーナスDVDもあり、そこではアービン夫妻の最盛期の踊りも収録されています。

このDVDは英語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、そして日本語に対応しています。間違いなくアービン夫妻が遺したものは私の役に立ちました。

 

お二人に続き、先のオピッツ夫人、現エヴェリン・ヘードリッヒ・ホーマン氏(Evelyn Hadrich-Hormann)の名前を挙げたいと思います。彼女は私のために練習方法を作成し、それを適切に説明して下さったので、最短で最大の成功を収めることができました。

 

その練習方法とは次のようなことです。

<1>
ポスチャー、脚部・足部のアクション、それに、ローテーション、ロアーの仕方、スウェイなどの繰り返し現れる基本の動きのパターンを発展させる。音楽家たちが楽曲を繰り返し練習したり、指の練習を色々繰り返したりするのと同じように、こうした基本の動きを繰り返し、いつでも自然にできるようにします。

 

<2>
短い振り付けの練習。この短い振り付けは日ごとに違っても構いません。繰り返し練習している「基本」が動きに反映できるようにしますが、それだけでは、譜面通りに歌うのと同じで偉大な歌手にはなれませんから、同じ振り付けの中で、様々な解釈を入れて踊ってみます。それぞれのフィガーで加速するタイミングを変えてみるのですが、そのためには、どうテクニックの変更をしなければならないかをチェックます。この練習で、慣れ親しんだステップのパターンの上達具合を調べます。より難しいやり方で練習しておくと、競技会で演奏される曲に対応できる幅広い踊り方ができるようになります。

 

<3>
3つ目は「実地訓練」と称する競技会のシミュレーションです。本当の競技会と同じように、予選からの全競技に集中することが大切です。この練習のためには、体のコンディションも万全にしておかなければならないことは言うまでもありません。

 


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