FL02 初恋は音楽 導入部

投稿者: | 2022年10月26日

今回は “Music Was My First Love” からオリバーさんの「自己紹介」、ユーゴ・ストラッサー氏の「序文」、そして「まえがき」を紹介します。今回のタイトルを「導入部」としましたが、本の専門用語は「前付け」なのかもしれません。

 

目次紹介

“Music Was My First Love”
初恋は音楽 導入部分

 

●オリバー・ヴェッセル・テルホーン
●序文 ユーゴ・ストラッサー
●まえがき

 

 

オリバー・ヴェッセル・テルホーン
  (Oliver Wessel-Therhorn)  

 

オリバーは1960年2月26日ドイツのミュンスター(Munster)で生まれました。彼のダンス成績としては、1986年と1987年のワールド、及び、ヨーロッパ・アマチュア・ボールルーム選手権で優勝。また、1986年にはブリティッシュ・オープンのアマチュア・ボールルーム選手権とワールド・アマチュア10ダンス選手権でも優勝しています。

プロ転向後、ブリティッシュ・オープンのライジング・スターで優勝、また、プロフェッショナル・ボールルーム部門の決勝にも入りました。その他、スーパー・ワールド・カップで4度優勝、ジャーマン・オープンで4度優勝、プロフェッショナル・ワールド選手権で3位、そして、汎ヨーロッパ・プロフェッショナル・ボールルーム選手権で2度の優勝を果たしています。ドイツ首相から表彰され、2001年からはドイツのナショナル・コーチに任命されています。

 

オリバーは結婚していて二人の娘、ラファエルとレベッカ(Raphael and Rebecca)がいます。オリバーの家族は田舎の小さな家で一緒に暮らしています。2007年からは肝臓ガンとも一緒に暮らすようになり、2009年からは転移したガンも加わりました。

それ以来、彼は「初恋は音楽」の作家になりました。これは彼の2作目です。最初の本はダンサーとして、そして、トレーナーとして最も成功を収めた偉大なビル&ボビー・アービンMBE(Bill and Bobbie Irvine, MBE)に敬意を表する意味で出版した “The Irvine Legacy” で、2009年にDSI社から出ています。

 

この本を私の家族全員に捧げます。すなわち私の両親に、兄弟たちに、そして、我が妻ベラ(Vera)と二人の子供、ラファエルとレベッカたちに。私にとり音楽は常に最優先事項でしたが、多分この先も変わらないことでしょう。

君たちのオリー、そしてパパより。

 

 

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序文/ユーゴ・ストラッサー
Foreword   Hugo Strasser

 

音楽とダンスは常に人間の生命の原理であり続けています。そして、数千年をかけ、その表現方法を信じられない程に変化させてきました。幸いなことに紀元2000年を通り抜け3000年目の旅に入った我々人類は、こうした変化の最先端を経験し、かつ、その最高に発展した文化を堪能している訳です。

私のオーケストラが成功してきた陰にはADTV(ドイツ・ソシアルダンス教師協会)と、ひいては、競技ダンスとの大きな繋がりがあったからと言えましょう。幸運なことに私は何十年にもわたり国内、そして国際競技会で数えきれないほどの演奏をする機会を得ました。同時に、最も有名なダンサーたちと知り合うことができ、彼らの素晴らしいパフォーマンスに惚れ惚れしたものです。

 

オリバー・ヴェッセル・テルホーンは「枯葉」の曲でスロー・フォックストロットを踊るのが大好きでした。私のクラリネットのソロの部分では、とても繊細、かつ、誰も真似できない程の上品さで踊っていましたので、それが私たちを一層親密にしました。

彼の新しいこの本「初恋は音楽」には、生活の中における音楽とダンスのみならず、興奮を覚えるエンターテイメントとしての音楽とダンスについても書かれていますので、読者の皆さんに大いなる識見を与えてくれることでしょう。

オリバー・ヴェッセル・テルホーンを讃えて、
グラスブルン(Grasbrunn)にて、2010年8月

 

 

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  まえがき  
Introduction

世界で最も歴史あるダンスの祭典といえば、そう、英国のブラックプール・ダンス・フェスティバルですが、今年のブラックプールへの旅は激痛の連続でした。昨年は胸骨の痛みが激しく、この素晴らしいダンスの祭典に最後までいることができませんでした。激痛の原因は隔膜炎でしたが、なにもイギリスで発生したわけではなく、既にドイツで起きていたことです。それにも拘らず、ブラックプールの当番医者は、こともあろうに、首の痛みと診断していました。ここで私からのアドバイスです ― ブラックプールでは病気になるな!

 

今年の痛みは昨年とは比べ物にならない程で、ちょっとした動きをするのも困難でした。このことで良かったことと言えば、誰も私の動きから年齢を推察できなかったことくらいでしょうか。

 

この波乱の週を終えた私はドイツに戻り、すぐさまグレーベンブロイヒ(Grevenbroich)にあるエリザベス病院のドクター・コーステン(Dr. Friedrich-Wilhelm)に会いに行きましたら、入院して色々テストをすることになりました。そして数日後、とても辛い知らせを聞かされました。胸骨のすぐ下にガンが転移していたのです! その時、ベッドの上で震える私の手を妻が握りしめてくれていました。病室で遊んでいた子供たちも様子がおかしいと感じとっていました。ガンの転移については映画やテレビで知っていましたが、現実に自分の身に起こると、それは立っている足元の敷物を引きはがされる感じで、私の全身はとめどもなく震え続ました。

 

2週間入院し、最初の化学療法を受けた後、妻とドクターは話し合って、私を温泉に送り出してくれました。これは次の治療に備えて体を休めるのが目的でしたので、私は温泉で1週間過ごしました。

温泉の部屋に一人でいると、頭の中はありとあらゆる考えで溢れ返ってきます。そして、初めに浮かぶのは殆どが悲観的な考えばかりでした。しかし、私はかなりポジティブな人間ですし、その上、妻のベラは電話でいろいろ励ましてくれたので、徐々に考えることに変化が表れ始めました。たとえば、今まで自分が経験してきたことを振り返ると、自分はラッキーだったという風に、良いことを考えるようになったのです。世界中を旅しましたし、世界中に友達がいます。自分の抱いた情熱を職業にすることができましたし、成功を収めることもできました。私は愛情たっぷりに育てられましたし、今、二人の子供がいる素晴らしい家族があります。

そうしたことを考えて行けばいくほど、私は自分の人生で起こった素晴らしい出来事の数々を、何か音楽と結びつけることができると思うようになりました。そして更に深く回想していくと、自分の人生では音楽が重要な役割を果たしていたことに気づいたのです。きっと音楽が、この暗い気持ちの中から私を連れ出してくれるに違いないと。

 

そうした考えが私の頭の中を3日3晩、ぐるぐる巡り続けていました。そして、4日目の夜、私は心の中に抱いていることを書き尽くそうと、ベッドから起き上がったのです。すべてを書き出してしまえば再び心の平和が訪れ、普通に眠ることができる ―― そんな願いをこめて思いました。とんでもありません、全然違いました!

 

なぜなら、書けば書くほど別のアイディアが湧いてくるのです。私の記憶は、自分の経歴の中の(言ってしまえば人生そのものですが)その現実的な事実を思い出したかと思えば、子供の頃のあいまいな記憶が蘇ったりと、めまぐるしく入れ変わるのでした。

それでも、脳裏に刻まれている思い出を本にしようと思います。そして事実に基づくことは通常の書体で、個人的で主観的な思い出は斜体(本HPでは青で表示)にしようと思います。それでも、完璧に二分することはできないでしょうが、その辺は親愛なる読者の皆さんに我慢して頂きたいと思います。

 

ですからこの本は、極限の状態にある本来の私らしからぬ誰かの脳裏に蘇ってきた記憶が書かれていると思ってください。ちょっと気味悪いですが、自分では結構誇らしいと思っています!

それから、自分の病気についても書かざるを得ません。その繋がりでしか私の人生を語ることができない部分があるからです。

 

なにはともあれ、この本を読んでくださる総ての人に勇気を与えることを願っています。まだ私の人生は終わってはいませんが、終末に近づいていますので。運命の一撃を食らった者には最後の言葉が与えられています。しばしの間、私の人生の砂時計の砂が落ち切りませんように。きっと大丈夫でしょう!

こうした感じの精神で書いて行きますので、きっとあなたは読んで面白いと思って下さるでしょうし、今まで知らなかった私の部分を発見することでしょう。

心を込めて

 


(初恋は音楽 導入部)