IL22 第14章 著者について

投稿者: | 2020年5月4日

「ビル&ボビー・アービンのダンス・テクニック」(白夜書房/神元誠・久子翻訳/2011年)を公開します。原書は2009年に英国のDSI社から出版された”THE IRVINE LEGACY” (Oliver Wessel-Therhorn)です。

 

目次

書籍「ビル&ボビー・アービンのダンス・テクニック」

 

 

第14章 著者について
About the Author

 

Oliver Weesel-Therhorn

 

最後になってしまいましたが自己紹介させていただきます。そして、この本を書くことになった経緯もお話ししましょう。

 

私は11才でダンスを始めました。当時は子供の中に混じって踊るだけで、将来の大きな目標などは持っていませんでしたが、ある日、その子供のクラスに事件が起きました―郷里に来ていた世界プロフェッショナル・チャンピオンのウォルフガング&イーブリン・オーピッツ組の特別レッスンを受けたのです。感動した私は、直ちに、将来の夢は世界チャンピオンと決めたのです。それからの私のダンスは、ドイツのユース選手権で優勝するなど、悪くはありませんでした。

 

その頃、私が通うクラブが、有名なビル・アービンMBEをお招きしてのワークショップとレッスンを企画し、私はクラブからのご褒美としてビルのレッスンを1回だけ受ける機会を頂きました。彼のことは写真やテレビから知ってはいましたが、直接お会いするのは初めてでした。お会いした時、彼はとても丁寧に、でも、フレンドリーに「こんにちは。私の名前はビル・アービンです」と挨拶して下さいました。でも、テレビで見るビル・アービンは間違いなく180㎝以上あると思っていたので、本当に本人なのか疑ってしまいましたが、彼が私のパートナーとホールドした瞬間、本物だと納得しました。そして私は再び決心したのです ― 世界チャンピオンの夢を叶えるには、この人から教わるしかない ― と。私の設計がひとつながりになった瞬間でした。

 

半年後、再び私の故郷にやってきた彼はボビーを連れ添っていました。溢れる尊敬の思いで、身動きできないでいる私を見て、「それで・・・」とボビーが話しかけてきました。「あなたが、主人がいつも話している若者ね。でも、私は彼の話を信じていないのよ。自分の目で見ない限りはね。」

 

このレッスンを機に、ボビーとの真の関係がスタートしました。

 

大志を胸に抱いた私でしたが、お金がなく、始めの頃は定期的にレッスンを受ける余裕がありませんでした。お金が貯まればとロンドンへ数日間でかけるという風でしたから、他の先生にも習うなどという考えは微塵も起きませんでした。第一に、お金がなかったこと、第二に、他の先生に行く前に、先生としてのビルとボビーの考えを知り尽くしたいと思っていたからです。結果として、私の生涯の教師はお二人だけでした! もう少し正確に言えば、ドイツに来られた他の先生のレッスンを受けたことはありました。が、それとても、いつもアービン夫妻と相談してのことでした。

 

ビル&ボビーのお陰で(そして、ドイツでの先生、ウォルフガング&イーブリンとカール・ブロイエル氏らの助けによって)、私は自分の目標を手にすることができました。ワールドとヨーロッパ・アマチュア・ボールルーム選手権に2度優勝する誉れを得ることができましたし、ワールド・アマチュア・テン・ダンス・選手権でも優勝することができました。そうした中でも、一番思い出深いのは、ブラックプールでの全英選手権の優勝でした。

 

1988年、私の父は余りにも若くして他界しましたが、それからと言うものは、ビルが私の父のような存在でした。何から何まで、あらゆることをビル&ボビーに相談してきました。仕事のことも私的なことも何もかもですから、お二人をなくして今の私はありえません。プライベートでもお二人との貴重な時間を過ごすことができたことも幸運に思っています。

 

かつて、ビル&ボビーが有名人との出会いを話してくれたことがあります。皆、私にとっての銀幕のヒーロー達ばかりでした。例えばビルは、飛行機の中でフレッド・アステアと隣同士だったとか、クルージングの船上で日光浴をしていた時の隣はスペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘップバーンだったとか、カール・アラン賞の時にはモナコのグレース王妃と踊ったとか、ビートルズとおしゃべりしたとか。ボビーはマイアミのフォンテーヌブロー・ヒルトン・ホテルでフランク・シナトラと一緒にお酒を飲んだとか、まったく羨ましい話ばかり! ある時、ジェームズ・ボンドは誰が一番適役かという話になり、私がお気に入りのサー・ショーン・コネリーだと言うと、ビルは完全同意をしてくれました。「当然さ、オリー。彼はスコットランドの男だしね」と、付け加えるのも忘れずに。

 

ビルは二人の自叙伝「ザ・ダンシング・イヤーズ」の中で、どのようにテクニックを用いてきたかを本にしたいと語っています。そこで、2007年12月21日、私がクリスマスの訪問をした折に、原稿の進み具合を尋ねてみた所、当時、体調があまりよくなかったビルは、「もう書けそうもない」と言いました。そして次の瞬間私を指差し、「君がやってくれ!」と命令してきたのです。そのような物を実際に書けるものかどうか分からないし、また、私がすべき事かどうかも分からないと返事をすると、再度「やりなさい!」と強い声が飛んできたのです。

 

大の親友のマーカス&カレン・ヒルトンMBEは私が書くよう勇気づけてくれましたが、それでもなかなか決心がつかないでいたある日、私は家族との休暇でアメリカに向かう飛行機の中にいました。あいにく飛行機の中の映画がまるで面白くなく、私はラップトップを取り出し、この本を書き始めたのです。その時、「これが最後の」との考えがよぎりました ― 私が「養父母」にしてあげられる事だと・・・

 

 

親愛なるビル&ボビーへ

 

今、どこにおられるのでしょう。

私は天国だと、固く信じています。私達ダンサーの天使となって・・・

お二人には心の底から感謝しています。

今の私に導いてくださって、有難うございます。

いつまでも愛しています
オリーより

 

 

◇ ◇ ◇

 

ブリティッシュ・オープンで優勝した夜の義父母と私

 

 

義父を私(The Author with his ‘stepfather’)

 


(「第14章 著者について」おわり)