IL20 第12章 ダンスの歴史を少々(クイック、タンゴ)

投稿者: | 2020年5月3日

「ビル&ボビー・アービンのダンス・テクニック」(白夜書房/神元誠・久子翻訳/2011年)を公開します。原書は2009年に英国のDSI社から出版された”THE IRVINE LEGACY” (Oliver Wessel-Therhorn)です。

 

目次

書籍「ビル&ボビー・アービンのダンス・テクニック」

 

 

第12章 ダンスの歴史を少々(クイック、タンゴ)
A Little Dance History

 

■クイックステップの歴史■

クイックステップはもともと小幅のステップの組み合わせから出てきた踊りです。このことは今日のクイックステップを踊る上でも不可欠な条件となるでしょう。このクイックステップの発展には、1925年に英国にやってきて大流行したチャールストンが深くかかわっています。1926年にはチャールストンの大きな競技会がロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催されています。単独審査に当たったのは、20世紀もっとも影響力のあったダンサーとして評判の高かったハリウッドのスター、フレッド・アステアです。その時は、彼が出演していたミュージカル“レイディ・ビー・グッド”がウエスト・エンドの劇場で上演されていましたが、この時点ではまだ、フレッド・アステアは映画に出演していません。

 

先にバーノン&アイリーンのキャッスル・ウォークについて書きましたが、前進のキャッスル・ウォークを踊ろうとしていて、ダンス・カフェのフロアが楕円形だったためにクオーター・ターンズが生まれました(シャッセとヒール・ピボットから構成されていました)。1930年になり、ロック・ステップとシャッセが合わさりました。ウォーリー・フライアー&バイオレット・バーンズ、そして、エリック・ハンコックス&アン・クリーンはクイックステップの発展に多大な影響を与えた先駆者たちです。

 

タップダンスの動きに触発され、ダンサーたちもトリッキーな足の使い方をするフィガーを使い始めました。ジェームズ・ホーランドもその一人で、彼は“クラッカージャック”というステップを創り出しました。このステップはペンジュラムやウッドペッカーなど、その後のトリッキーなステップの先駆けと言えます。

 

ウォーリー・フライアー&バイオレット・バーンズ(Wally Fryer and Violet Barnes)

 

クイックステップは常に、その時の偉大なダンサーの特別な解釈で発展してきました。ここに掲げるものが完璧と言うつもりはありませんが、そうしたダンサーをリストアップ致しましょう。

  •  ウォーリー・フライアー&バイオレット・バーンズ(Wally Fryer and Violet Barnes)
  •  エリック・ハンコックス&アン・グリーン(Eric Hancox and Ann Greene)
  •  ビル&ボビー・アービン、MBE(Bill and Bobbie Irvine, MBE)
  •  ピーター・エグルトン&ブレンダ・ウィンスレード(Peter Eggleton and Brenda Winslade)
  •  アンソニー&フェイ・ハーレイ(Anthony and Fay Hurley)
  •  ルドルフ&メチルド・トラウツ(Rudolf and Mechthild Trautz)
  •  ジョン・ウッド&アン・ルイス(John Wood and Anne Lewis)
  •  マーカス&カレン・ヒルトンMBE(Marcus and Karen Hilton, MBE)
  •  オリバー&マルチナ・ヴェッセル・テルホーン(Oliver and Martina Wessel-Therhorn)
  •  マッシモ・ジョルジアンニ&アレッシア・マンフレディーニ(Massimo Giorgianni and Alessia Manfredini)
  •  クリストファー・ホーキンス&ヘーゼル・ニューベリー(Christopher Hawkins and Hazel Newberry)
  •  ウィリアム・ピノ&アレッサンドラ・ブッチャレーリ(William Pino and Alessandra Bucciarelli)

 

ワールド・プロフェッショナル・ラテン・チャンピオンのタイトルも獲得したビル&ボビー

 

 

■タンゴの歴史■

競技として初めてタンゴが出てきたのは、1925年のパリのことです。タンゴはドイツでも踊られていましたが、厳密に言えば、とても違うものでした。ドイツのタンゴはかなり激しいアクセントの効いた、かなり唐突な動きをしていたのです。こうしたドイツ風のタンゴをミュンヘン大会で見たジョセフィン・ブラッドリーは大いに感動し、夫にそれを話すと、こう切り返されたということです。
「イギリス人なら、あんなにデタラメには踊れない!」

 

しかし、1935年のブラックプール大会で、ドイツからの出場者たちが、このドイツ風のタンゴを踊ると、たちまち真似されたのでした。当然、その中にはよくないもののコピーも多数あり、そうしたものの悪い模倣によって、自然なタンゴの発展が阻害され、受け入れられる形としてのタンゴになるまでには長い時間かかることになりました。

 

タンゴで人気のある二つのラインは、ベーシック・ウォークスから出たものです。ウォークから大きなシェイプを伴う美しいラインに変形した事が容易に分かることでしょう。一つ目は男性左足前進から発展したコントラ・チェック。もう一つの例は、右足ウォークから発展したライト・ランジです。

(左)男性左足のウォーク  (右)コントラ・チェック

 

(左)男性右足のウォーク  (左)ライト・ランジ

 

ダンスの歴史における先駆者たちは、常にタンゴに新しい様式をもたらし、発展に寄与してきました。そうした人たちの中で、最初に挙げるべき人物は、当然、レン・スクリブナーでしょう。なぜなら、1950年代以後のタンゴの形は、基本的には彼が創り上げたものだからです。

 

そして、当時は英国に住んではいたものの、“フライング・ダッチマン”の異名を持つベニー・トルマイヤーは、どんな女性の動きも通常より素早く見せることに成功しました。

 

今日のタンゴの形はイタリア人ダンサーたちが影響を及ぼしています。アウグスト・スキアーボ&カテリーナ・アルゼントン、ファビオ・セルミ&シモナ・ファンチェロに始まり、アルゼンチン系の踊りを競技会の形として使えるようにしたマッシモ・ジョルジアンニ&アレッシア・マンフレディーニは一流の解釈を取り入れました。そしてハイライトは、ウィリアム・ピノ&アレッサンドラ・ブッチャレーリで、彼らの解釈による激しいスピードのコントラスト、そして、並外れた音楽的才能は大喝采を浴びたのでした。

 

この先何が起こるかわかりませんが、ダンスが無くなることはないでしょうし、ダンスが続く限りは進化し続けることでしょう。進化は、芸術という形で私たちが興味を持ち続けるなら良いことです。しかし、どのような角度からダンスを見ようとも、そこに正しい歴史的な知識が欠如していれば、進化は望めないでしょう。

 

「自分がどこから来たかを知らなければならない。もし自分の未来を創造したいのなら!」

 

数年前、ビルが食卓で私に話しかけてきたことが、まだ耳に残っています。ビルは、私の義理の父親としてダンス以外の事もいろいろ教えて下さり、その責を果たしてくれました。

 

「オリー、決して原則を忘れてはダメだ。ファッションには流行り廃りがあるが、体の構造の原理は不変だし動きの原理も不変だ。踊りのために音楽を求める気持ちも変わらないだろう!」

 


(「第12章 ダンスの歴史を少々」おわり)