IL19 第12章 ダンスの歴史を少々(スロー)

投稿者: | 2020年5月3日

「ビル&ボビー・アービンのダンス・テクニック」(白夜書房/神元誠・久子翻訳/2011年)を公開します。原書は2009年に英国のDSI社から出版された”THE IRVINE LEGACY” (Oliver Wessel-Therhorn)です。

 

目次

書籍「ビル&ボビー・アービンのダンス・テクニック」

 

第12章 ダンスの歴史を少々(スロー)
A Little Dance History

 

■フォックストロットの歴史■

ボールルーム・ダンスにおけるフォックストロット、およびクイックステップの発祥は1912年に遡ります。イギリス生まれのバーノン・キャッスルとアメリカ生まれの妻アイリーンは、アメリカと西ヨーロッパをツアーしながら、カフェやボールルームでデモをしていました。この夫妻はトレードマークともいえる“キャッスル・ウォーク”で有名ですが、その踊りは主として、リズミカルなウォークとシャッセとピボットから構成されていました。彼らの生涯については、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが1939年に映画化しており、キャッスル夫妻のオリジナルな振り付けは、その映画で見ることができます。

 

音楽が発展して行くに連れ、次のステージへと変化を遂げたダンスがクイックタイム・フォックストロットでした。この踊りで使われたウォークのアクションはブロードウェイの俳優、ハリー・フォックスの人目を偲ぶような静かな動きを真似したもので、その動きは彼のトレードマークになっていました。それでフォックストロットという名前になったのです。すなわち、この踊りはアメリカで生まれ、それから英国で発展を遂げ、今日私たちが知るエレガントな踊りになったのです。

バーノン&アイリーン・キャッスル(Vernon and Irene Castle)

 

このクイックタイム・フォックストロットから二つのダンスが現れました。ひとつはクイックステップで、もう一つは、それのゆっくりしたバージョンのフォックストロットです。そのフォックストロットが誕生したのは、一般的に1917年のこととして知られています。クイック・クイック・スローの基本リズムに乗り、当初はウォーク、トロット、小さなピボット、それに小粋なトゥインクルなどを使って静かなムーブメントで踊っていました。

 

ところが、1918年になると “ジャズ・ロール” と呼ばれる、回転が継続する動きが登場したのです。更に1919年にはヒール・プル・エンディングをするオープン・ターン(当初は右回転のみ)が使われるようになりました。1922年からは、フォックストロットの音楽がだんだんと遅くなりました。

 

フェザー・ステップの原型はロック・ステップの一種でしたが、あるとき、一人の男性が履いていたエナメルの靴がひっかかり、彼はやむなくアウトサイドにステップしてしまったのですが、これがフェザー・ステップのテクニックとして受け入れられるようになったのです。当初使われていたバリエーションでは、フェザー・ステップで右にカーブしていき、それからスリー・ステップで左にカーブしていき、ウィーブに入って行くものでした。

 

フォックストロットの特徴は途切れることのないムーブメントにありますが、その技術が最初にテキストになったのは1924年でした。この年は、G.アンダーソン&ジョセフィン・ブラッドリーがプロフェッショナル世界選手権のフォックストロット部門で優勝した年です。短期間でしたが二人は一緒に踊っていたのです。

 

ナチュラル・ターンに対応して、左へのオープン・ターンが登場しヒール・ピボットにつなげて踊られていましたが、これもまたフェザー・ステップ同様、ヒール・ピボットでエナメルの靴が引っかかり、そこからフェザー・フィニッシュが生まれたのです。1927年、フランク・フォードが踊っていたときのことでした。そして、アラインメントという言葉が初めて使われたのは、このフィガーの中でした。

 

フランク・フォード&ジョセフィン・ブラッドリー(Frank Ford and Josephine Bradley)

 

 

 ― エクステンディド・リバース・ウェイブ ― 

1961年、もう一つの新しいフィガーが生まれました。その年のスコットランド選手権が終わると、長年ブラックプールの審査委員長を務めていたアレック・ウォレンOBEは、フロア上でパーティーを開き、全出場者を招待したのでした。ビルの同郷の先輩で、1932年スター選手権優勝者のボビー・フィルプも参加していました。彼はボビー・アービンを誘ってフォックストロットを踊り始めたのですが、彼が踊った連続したウェイブは、シャープなカーブを描き、しかもアウトサイドにステップすることもありませんでした。

 

そのステップに感動したビル・アービンは、自分の振り付けに加えるべく、さっそくハマースミス・パレイで練習を始めました。ところが、全くうまくいかないのです。そこで、彼らが習っていた先生の一人で、かつてのチャンピオンでもあったソニー・ビニックにアドバイスを求めました。問題はどこにあるのか、自分の間違いが何かを尋ねるビルに、ソニー・ビニックは次のように分析しました。

 

ボビー・フィルプは、1932年のファッションで非常に前傾した形で踊っていたからだというものでした。つまり、男性が前傾していたので、その分、女性は実際に男性の下に入り込むことができたのです。しかし、1961年のホールドは、その頃より遥かに広くなっていましたから、通常のクローズド・ポジションで、アウトサイド・パートナーにも出ず、シャープな回転をしながらウェイブを踊ることが困難だったのです。しかし、ビル&ボビーはそれを克服し、イン・ラインで踊り通すエクステンディド・リバース・ウェイブはビル&ボビーのトレードマークの一つとなったのでした。

 

ソニー・ビニック&サリー・ブロック(Sonny Binick and Sally Brock)

 

いぶん以前に考え出されたステップにスイブル・ウィスクというのがあります。カーブド・フェザーを踊り、男性は左足後退してスイブルに入ります。女性は右足アウトサイド・パートナーに前進して、フォーラウェイ・ウィスクの1-3を踊りますが、ライズ・アンド・フォールは使いません。このスイブル・ウィスクは主に回転系に入る前のエントリーとして、例えばピボットのエントリーとして使われていました。

 

今日でもスイブル・ウィスクを見ないわけではありませんが、女性がウィスクする所はスピン・ターン、あるいは、アウトサイド・スピンに似たトウ・ターンするその場でのターンに置き換えられています。

 


(「第12章 ダンスの歴史を少々」つづく)