#017 私の好きなレクチャー 3. ”Ballroom Dancing” by Augusto Schiavo

投稿者: | 2020年3月22日

イタリアのキャンプ(Happy Training Italy 2008)からアウグスト・スキアボー(Augusto Schiavo)のレクチャーです。最近の振り付けについての苦言やフレーズで踊ることの問題点、誰のために踊るのか、先人に敬意を払って踊ることなど、聴衆の気持ちを引きつける話題が一杯です。レクチャーの最初と最後に取り上げられた質問、「リードの仕方」と「タイミングについて」への答えはとても興味深く、私の好きなレクチャーです。

 

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#017 私の好きなレクチャー 3.
”Ballroom Dancing” by Augusto Schiavo

出典:HAPPY TRAINING ITALY ISCHIA-CAPRI OPEN 2008 / スタジオひまわり制作
翻訳/アフレコ:神元誠

 

 

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日本語の書き出しを紹介します。文字で読むと、また別の発見があることでしょう。

 

#017 私の好きなレクチャー
”Ballroom Dancing” by Augusto Schiavo(テキスト)

 

Augusto: なにか質問があればどうぞ。答えられるかもしれないし、答えられないかも知れない。しかし遠慮はいりません。できる限りその質問に対する自分の考えを話すようにします。で、誰か質問は? なければ、私の話をします。

 

■リードの仕方について
リードの質問が出た。ちょっと難しい。みんなはどうやってしている? 基本的には自分が行きたい方へボディを動かすとリードはできるんだ。コネクションを通してリードする。だからコネクションが悪いとリードはできないことになるが、いずれにせよ、行こうとする方向に自分のボディを動かしていくんだ。

だから押すのでも引っ張るのでもない。単に自分が動けばいい。だから、この人は知らない人だが、ほら、パーフェクト。いい感じでしょ。彼女をリードするには、ボディを動かし始め、どっちへ押すわけでもなく、自分が行こうとする方向に自分を動かすだけでいいんだ。事前に練習していたわけではないが、ほら、ご覧の通り。

じゃあ、どうやってやるのか。コネクションを持つことだ。そして話したように,自分のウェイトと背骨を一緒に使って動かしたい方向へ動いていけばいい。

私が思っているリードの方向は基本的に3つ。前進と後退、そして横しかないと考えている。そしてさっき話したように、相手といいコネクションを持つことだ。

左手でのコネクションを持つ。ボビー・アービンがいつも言っていたが、まずは手、それからボディコネクションだ。そして男性の右手、女性の左手だ。

 

コネクションができた。これでいいか? 

まだだ。これじゃ女性は動かない。コネクションを持ったなら、行きたい方向へウェイトを移動しなきゃ。つまり、相手とコミュニケーションを図るには自分のウェイトが一番大切という事になる。それで——失礼——ボディよし。右手よし。これでも彼女は動きにくいだろう。なぜなら皆バラバラの方向へ行こうとしているからだ。これじゃ、自分の行きたい方向を理解させることはできない。よって、コネクションを全て同じ方向へ移動しなければならない。

何をやってもウェイトを移動するだけ。足を出すのではなく、ウェイトを乗せる。

サイドでも前後の動きでも、同じことです。タンゴでもクイックステップでも種目に限らず同じことだ。つまり、ボディ・ウェイトでパートナーを行きたいところへリードするわけだ。分かってもらえたと思うが。

 

 

■振り付けについて考えていること
最近の振り付けについて、考えてしまうことがあるので、その事について少し話したいと思っている。音楽と振り付けに関する本を読んでいたせいもあるんだが、最近の振り付けを見ていると、極端になりすぎ、もはや素晴らしいとは思えない。

理由を話そう。誰が振り付けをするにせよ、自分たちが選ぶにせよ、その判断基準は自分のレベルがどこにあるかだ。だからダンサーがそれをこなせるかどうかを最初に考慮しなければならない。私が振り付けする前に考えるのは、カップルの技術レベルの点だ。次はボディ・タイプ。

 

みんなが同じステップを出来ると思うか? できない。背の高い人もいれば、小さい人もいる。重い奴もいれば、長い脚をした奴もいるし色々だ。だから同じという訳にはいかない。自分に合った振り付けを見つけなければならないんだ。自分とまるでボディ・タイプが違う人の振り付けをコーピーすることはできないのさ。

それから最も重要なのも、当然の事だが、踊りの特徴だ。ワルツを踊っているカップルなら、自分は足を揃えるところが見たい。君たちはダンスが上手くていろんな事ができるだろうが、私が考えるワルツで見たいのは、例えばベーシック・ウィーブ。シャッセ、そしてナチュラル・ターンも見たい。そうしたステップだけ使えと話しているわけではない。しかし、自分なら、そうしたのを見たいと思うという話だ。

こんなこととか、こんな動きとかには全然関心ないんだ。こんなことも。

見たいのはバリエーションとベーシックな、基礎的なステップとのコントラストが見たいのだ。タンゴだと、クローズド・プロムナード。ツー・ウォークスからのリンクもいいね。そこまで古典的でなくてもツー・ウォークスから何か他につなげてもいい。とにかくベーシック・ムーブメントをする若者の姿を見たいと思う。フロアーを走り回る姿じゃない。パワーやムーブメントもいいが、タンゴらしさがなかなか見られない。

 

クイックステップにしてもそうだ。ジャンプもスキップもいいが、私が見たいのはシャッセ、クイック・オープン・リバース、ランニング・ライト・ターンなどだが、みんな消え去りつつある。見たいものが入っていないから、見ていて感動しない。

フォックストロットで感動するのは、奇麗なフェザー・ステップやリバース・ターンを見たときだ。フォックストロットでアウトサイド・パートナーに踊るのは高度な技術が必要とされる。誰もそんな事に注意を払ったりしない。でも今は、若者も若者でなくても、そうした細かなことにまったく無頓着なんだ。

 

 

■フレーズで踊るロボット軍団
自分の現役時代、いつも自分に言い聞かせていたことがある。何にもしないで、つまり、特別な振り付けをしないで、という意味だ。ウィスクからシャッセ、ナチュラル・ターン、スピン・ターン、ターニング・ロックなどのシンプルなステップで勝てたとしたら最高じゃないか。特別なことをしないで勝つのだから。

君たちが好きなようにごちゃごちゃやって踊ったとしても、私が勝ててしまう、そういう話なのさ。特別な振り付けなしでもという意味でね。技術的なこととダンスの特徴を捉えたボディ・ムーブメントだけで。

だけど、最近は振り付けに頼りがちだ。振り付けに関連したことだが、誰もがフレーズを意識して踊っている。いつでもフレーズ。12345678-

これじゃロボット軍団だ。昨日も今日も、そして明日も、皆8小節目でコントラ・チェック。これで面白いか? 私にしてみれば、これはとんでもないナンセンスだ。何をするかは自分が決めなくては。

 

現役時代、そこにいるパートナーによく言ったものだ。フロアーで、「あそこのウィスクはナチュラル・ターンに変えるからな」って。でも、そうしなかったな。また変えてしまうんだ。それってアンフェアか? 

アンフェアかも知れない。彼女は何をするか分からないプレッシャーを感じるわけだから。でも私だってプレッシャーを感じているんだ。リードが通じないかも知れないからさ。

今でも同じ事をするかどうかは分からないけど、今、この瞬間は、そうしたいと思うな。マーカスだってやったじゃないか。ヴィニーズ・ワルツの曲でタンゴを。アレはすごい。

計画的か? 違う。あれこそ、私からすると本当の踊りなんだ。

 

そうしたことが今日なくなった。みんな、音楽が掛かるとカウントをとる。それだからフロアー・クラフトに柔軟性がないから止まれないんだ。ルーティンを変えられない。また8まで数えて、それから再スタートだ。

たまらんよ。まるで刑務所の中だ。3では動いてはいけない、5で出てヘッドは8で使うとか。これじゃ他人の指示でうごく人形じゃないか。刑務所の中で自己表現しようとしても、できないんだ。自分なら、ここを4と1/2で出たいのに、とか。

 

 

■フレーズのせいで音楽が分からなくなっている
ひとつ思い出したことがある。沢山レッスンを受けたわけじゃないけど、ベニー・トルマイヤー(Benny Tolmeyer)がステップして見せてくれたけど、彼を知ってるか? 名前は? ベニーだよ。すごい音楽的なダンサーだ。

一番印象的だったのは、スピードと音楽性についての質問をしたときのことだった。

「ここのタイミングは何か」とよく質問したものだった。そうそう、デニス(注:Denise Weavers )は彼とよく踊っていたね。

「それじゃダメだ。ここでは速くてあそこでは遅くだ」

たった2歩の話じゃないんだ。

 

「ここではゆっくり、あそこは速くだ」
「タイミングは?」

「言ったろ。ここは速くであそこは—」
そんな感じで、1234とか、これが5とか言うものがない。

 

そんな訳で、いまは音楽のセンスを磨けなくなっている気がするんだ。カウントを取っているだけだから。いまの曲がバイオリンかどうさえも気づかないんだ。123123ばかり。

そんな訳で、フレーズで踊るのには全く賛成できないし、自分もやりたくない。自分のショーではスタート以外はどこでどうなるか、最後がどうなるかも分からなかったよ。フレーズのせいで、皆、音楽の中で起こっていることさえも気づかなくなってしまった。こうしたことが、決められた通りにしか踊れないフロアー・クラフトに関係して来るんだ。

 

例えばクイックステップだと、みんなのすることは分かってしまう。スタートから8小節で反対側まで走り抜ける。中央に誰がいようと構うものか、蹴散らしていけ!

それってプロのダンスか?

それって、本当の技術か?

そうじゃないだろ。クラッシュを回避できなきゃ。ステップやリズムを変えたりできなきゃ、と思うよ。勿論容易なことではないが、そうあらねば。ロボットじゃないんだから、意志を持たなきゃ、な。ベストを尽くすとは、そういう意味でだと思う。

 

フレーズで習っちゃいけないといっているわけじゃない。音楽の構成なども勉強しなきゃ、ってことなんだ。音楽は8小節単位だという事も知り、それに対応できなければいけない。だけど、いつでもコントラ・チェックが8小節目には同意できない。他のハイライトを持ってきてもいいのだから。だからルーティンを決めるのは嫌いなんだ。反対なんだ。

 

 

■プロは本物のダイヤとスワルスキーを見分ける
音楽とは何か、どのようにして書かれたのか、そうしたことも知らなければならない。聞くとは別の話で。

同じことしか踊れないなんて、本当につまらないと思う。どうして最近の振り付けはこんな風なんだ。なぜ? どうしてか(理由)を君たち考えなきゃ。

私は、人の気を引くためだと思う。新しい振り付けで目立とうとしているんだ。すると疑問が起こる。誰のために踊るのか。誰に見てもらいたいのだろう。みんなフロアーで踊るだろ? 誰のために? 誰のため?

一番目は自分のためだ。

2番目は誰のため? エキスパートの人たちだろ? 観衆じゃないだろ? 観客のために踊るのだったら、ショーダンスをしなきゃ。畑が違うよ。飛んだり跳ねたりして観客から総立ちの拍手を望むなら、競技会に出ること事態が間違っている。それなら劇場でショーをすればいい。

私は拍手が欲しと思わない。ジャッジに真っ先にマークしてもらいたい。そのために踊っているのだから。観客の一人か二人が立ち上がって拍手してくれれば、他の人たちから無視されても全然構わない。

みんなもエキスパートの目に留まりたいなら、彼らの見たいものはそんなものじゃないんだ。彼らが求めているものは、もっとシンプル、もっと分かりやすい、そうしたものなんだ。だけど、まるで逆の方に流れている。誰もが観客の拍手を求めている。だから、跳び上がったり、コーナーで観客から拍手を貰おうとするんだ。それは違う。アプローチの仕方が違う、と思う。観客にも細かな所を見せるが、判断するのはエキスパートの人たちだ。

 

いつもする話しだが、ここに綺麗なブルーのベルベットがあったとしよう。そこに素晴らしいダイアモンドを置く。そして、同じカットのスワロフスキーを並べる。いい?

私には違いが分からない。でも専門家は分かる。

フロアーにやってくるや否や、「あの踊りは贋物、これが本物だ」と。君たちのダンスもこれと同じだ。君たちの踊りが本物か贋物か、専門家に見てもらうことをしなきゃ。

でも、私の目に入るのは、違う人たちを喜ばせようとする人たちばかりだ。だから、拍手はもらえても勝たない。そこで「みんなが素晴らしいと言ってるのに、勝てなかった」とこぼすんだ。残念ながらジャッジは専門家だ。喜ばせるのは客席じゃない。私の目には、違う人たちを喜ばせようとしているように見える。

謙虚さが欲しい

 

これから話すことは、分かりにくいかもしれないが、気になっている事なんだ。例えば、ナチュラル・ターンを踊るとする。ウィスク ~ シャッセ・フロム・PP 。 それから何に続けようか 。 スピン・ターンに入ったとする・・・。元へ。こうしたステップはどれだけの人たちが踊っていたと思う? 何人のチャンピオン達が使ったと思う? どれだけの人達が、彼らの人生で使ったのだろう?

今までの世界チャンピオンたちの事を私は振り返って考えてしまう。そして今、自分がそのステップを、いま、スピン・ターンを使っているけれど、これまでの人達に最大の敬意を払って踊らなければいけないと思うんだ。

でも、それが見えない。歴史やかつての人々に敬意を払っているのが見えない。自分たちが一番というふうに、そうかも知れないが、フロアーの上で頑張っている。

でも、そこには、ダンスの本質に対する本当の意味での尊敬の念というものが見られない。そんな事は気にもせずスピン・ターンを踊る。ビル・アービンも使ったが、君たちの方が上手でなくてはならない。でも、それを使っていた人々に敬意を払わなくては。

 

言ってることがわかるか? でも、そこが見えてこない。見えるのは、「俺が一番だ。これを使うぞ」って言う考えだ。一番になろうとベストを尽くすのはいい。だが、ほんの少しでも謙虚になれないものだろうか。

私が見たいのは—例えば、あの弓を飛ばすやつ、アーチェリー? アーチェリーはそんな単純ではないと知っているから、全神経を集中させるだろう。弓を放つだけだが難しいんだ。だけど、フロアーで踊る人達に見られるのは、なんていう言葉だ?

横柄? 傲慢?

思うに、細かな(英語の)表現が分からないので ~ 自分は ~ ちゃんと話せていればいいんだけど、君たちがフロアーでベストを尽くすのは当然だけれど、それをしているのは自分たちだけじゃなく、過去に何百万という人達がしてきた。そういうことにも考えが及ばなくては。

 

私はベストを尽くして人の記憶に残りたいとも思うが、そうしたことをどれだけの人が考えているだろう。私はマーカスのダブル・リバース・スピンが好きだった。だから、それを踊るときは彼より上手く踊ろうとした。しかし、先人達にも敬意を払っている。だけど今は、ダンスの歴史に敬意が払われていない。

だから何かをする時、新しいものであっても何であっても、誰かが既にしたことだという事を考えて欲しい。君たちがやっていることは全部誰かがやったことだ。技術の限りを尽くして君たちが行っていることは、誰かが人生を掛けて考え出したことなのだから、その人より上手く踊ろうとしなくてはね。

 

真摯であろう。分かるか? 本当か?

これで話は全部終わり。更に何がある? 何もない。

ドニーが東京で言っていた。

「ルンバやりたい? じゃあ、ウォークだ」って。

タンゴ? じゃあウォークしろ。同じことだ。当然のことをしないなら、踊りじゃないってことだ。

 

 

■Sのタイミングは遅くない
スローのタイミング? タイミング? 困った。

スローでもタンゴでも、クイックもそうだが、君たちはSとQしか数えないだろ。2拍か1拍のどちらか。’&Q’みたく半拍もあるけど。その考えをスローとかに使って、Sだから2拍、Qは1拍、次のQも1拍、なんて風に。けれどSQQにどんな意味があるんだ?

Sはゆっくり、Qが速い? そうだろうか?

以前、ボディの実際の動きは、スローのタイミングでは速く、クイックではゆっくりとの説明を聞いたことがある。ゆっくり。速くじゃない。
私も数字でカウントしてみることにしよう。1と2しか知らないけどやってみよう。みんなは、1、2でここまでしか行かないけど、実際は、ボディは速くなくてはならない。

1234 1234 1234 1234

 

でも、君たちは、ここSだから足の上でたくさん時間を使って、と、そんな考え方をしている。

1234 1234

 

これではボディのタイミングは完全に外れている。ボディと足のスピードが同じだからこうなってしまうのさ。足に2拍使っても、ボディは速いんだ。つまり、フォックストロットでSQQと踊るときは、足はSQQでも、ボディは速いSSとなるんだ。同じじゃない。足とボディに同じタイミングは使えないんだ。同じにするから、たくさん人たちがやっているように、タイミングがずれてしまうことになる。足のタイミングだけ合わせて、ボディはずれている。別に扱うことが、音楽に合わせスイングできる唯一の方法なのだ。それだけを考えていればいいんだ。

1234じゃない。分かるか? 分かる?

 

フォックストロットをかけてくれませんか?
<音楽>

一般的な踊り方。現在、みんなが踊っている。ボディが合っていない。もう一度やってみよう。 これもだめだろ?

12341234

 

ここはSで、Fast-Slow-Fast–Slow。見えてきた? ボディはファーストとスローで踊るんだ。

Fast – slow – fast – slow – fast – slow – fast – slow

タイミングが違うのさ。別のタイミングでボディと足は踊るんだ。だから分けて考えなければならないし、ボディと足のスピードがいつも一緒とは限らないのさ。変更も可能だけどね.

 

他に質問は? なければ、帰っていいぞ。参ったな、質問があるのか?

彼が質問したいそうだ。皆には聞こえなかったかもしれないが、質問は、異なる音楽のスピードで踊ることについてです。

 

スピードが変わると言うことはメトロノームのスピードが変わることだ。クイックかけてください。メトロノームの速さはこんな風だ。

<tictic……>

 

もっともっと速いと、(イタリア語)。もっと速い音だと、<音楽>、リズムが速くなっているだけだ。

<tic,tic….>

 

速くなったら何を変えればいい? ボディ・スピードか足のリズムか。そこが問題だ。こんなステップをしたとすると ―― 

Step, hop, Q&Q QQ 1234 OK?

 

ここからスタート

Step, hop, Q&Q QQ 1234 OK?

 

音楽のスピードに合わせ、同じように踊ればいいのだろうか? やってみるよ。

 

音楽が速いから急いで踊ろうとする。遅れないように。だめだ。

なぜ? ボディの動きを早めているからだ.

 

でも、これだと、この方が易しい。音楽に合わせて素早く動けるよう、体重移動の距離を短くしたからさ。多くの人たちはスピードに乗ろうとボディー・フライトを忘れている。また、スピードを演出するために、’&’ カウントを多用するけれど、それはリズムが速いだけでボディのスピードは速くない。完全に逆。

 

’&’ カウントが増えればボディ・スピードは遅くなるんだ。これより速いボディ・スピードにしたかったら音楽を遅くしなければならない。つまりは、Sカウントのステップでは、ボディー・フライトを加速しなければならないということだ。

足のリズムを変えてスピードを上げようとすると、

‘&&&&&&&&’.....。 ボディは速くできない。

 

この理論はどのステップにも応用することができる。Sカウントでも同じこと。スロー。誰がこの呼び名を付けたのだろう? スローでは2拍分動くのに。じっとしている訳じゃない。やることはたくさんある。2拍あると言うことは、その間にできる限りその方向へ動いて行こうとしたり、できる限り回転しようとする訳で、できるだけ何もしないでおこうと言うものではないんだ。

 

いいですか、Sカウントではボディは沢山動いて行くのです。みんなやっていないけど。むやみにたくさん、Qや&カウントを多用して,フライトしていると思い込んでいるが、それでは、ボディー・フライト作れない。

 

以上です。皆さん、楽しくお過ごしください。私はレクチャーを聴くのを楽しんでいます。する方は嫌いだですけどね。今週はダンスを十分楽しんでください。そして、どうぞ、君たちが踊るとき、人生を捧げた人たちがいたことを思い出してください。君たちは、彼らが積み重ねてきた特別なことをしている、と言うことを。ありがとうございました。

 

(おわり)


 

ハッピー・ダンシング!