MT34 第6章 すでにあなたの中にある/①踊り方はすでに知っているのです

投稿者: | 2020年3月13日

「ダンサーのためのメンタル・トレーニング」(マッシモ・ジョルジアンニ著/神元誠・久子翻訳/白夜書房 原書名:DANCING BEYOND THE PHYSICALITY)を紹介します。

■目次

 

MT34 第6章 すでにあなたの中にある/
①踊り方はすでに知っているのです

We Already Know How To Dance

 

すでにお話ししましたが、何かこれが好きと思ったりするのは、すでに、そうしたいという考えや形式、方法などを、他の色々な物とごちゃ混ぜすることなく取り出しているからなのです。問題なのは、ダンサーは皆、一人一人違っているにも関わらず、そのことを無視し、他のダンサーと同じようになることを求めていることです。彼らは真の自分自身を引き出すことより、他の人たちと同じグループにいることに幸せを感じているようです。しかし、長い目で見ると、そうした行動を取り続けていることはストレスになるに違いありません。なぜなら、そこでは、他に服従することなく、真の自分を裏切ることなく、個として表現すべきことが否定されているからです。

 

競技会を観てごらんなさい。どれほど多くの人が他の人たちを模倣していることか。同じ仕草、同じ表現をし、同じように挨拶して、同じようなリズムの取り方で踊っています。それだと、表現とは言えません。ただの物真似です。最悪なのは、カップルが自分たちに歩む道を模索していると、団体の方がそれを批判して、それが悪いことだとの印象を植え付け、皆と同じ群れに入れておこうとすることです。そのカップルを良い方に変えてあげようともせずに。

 

そのように、群れの中から飛び出そうとする人たちに対しては、繊細な気を使い、彼らが心の中で強く思っていることを聞き出しつつ、応援してあげなくてはならないのです。そうしていかない限り、個人のスタイルとか表現というものは生まれてこないのですから。

 

敢えて言うならば、こうした問題は私たち先生やコーチャーの責任です。私たち先生やコーチャーは多くの若者たちと、そして、あらゆる年代層の人たちと関わっているのですから、何を話し、何を行なうか、私たちが最大限の注意を払わなくてはならないのです。こと、体を使う技術に関しては、習う人たちには多くのことを要求しなければなりませんが、こと、話題が彼らの個性や、容貌、あるいは集団の中における振る舞いといった場合には、とても気をつけなければなりません。そうした人たちのことを教える側の目で捉えるのではなく、できる限り、彼らのやり方を理解するようにすべきと思います。もう一度繰り返させてください、生徒たちはアプローチの仕方をすでに持っているのです。それを生徒たちから引き出して表現できるよう手助けするのが、教える側の仕事なのです。

 

遅かれ早かれ、話しても黙っていても同じというときが来る。

それならば、黙っている方が良い。

(引用元不明)

 

例えば、競技会で色々なスタイルを見ているところを想像してみましょう。素晴らしいところを想像してみましょう。次に、同じ形だけれど異なる味わいのダンスを見ているところを想像してみましょう。ちょうど、お皿に盛られたパスタと同じです。形はパスタでありテクニックで、味わいはあなたが選ぶことができるソースに当たります。

 

私たちは皆、異なるソースでできています。今、できていると表現しましたが、ソースはすでに私たちの中にあるからです。私たちはただそれに耳を傾け、そのように振舞えば良いのです。もちろん、若い頃には他の真似をしたいという欲求が出るときもありますが、それが30 才になってもなお、真似したいとは思わないでしょうから、そうなると「なんと無駄な時間を過ごすのだ」と思ってしまうのです。

 

レオナルド・ダ・ビンチはこう書き残しています。「もし君が一人ぼっちなら、完全に自分自身になれる」と。この彼の言葉に私が述べてきたことを当てはめるとこうなります。「もし君が一人ぼっちなら誰かに邪魔されることはないから、君は自分に耳を傾けなくてはならなくなります。君を批判する人はいないので、否が応でも自分を見つけ、表現せざるを得なくなります」と。

 

一般論ですが、自分を非難するとき、それは何かと比較しているからです。しかし、それが問題を起こしているのです。比較することは意味がありません。比較する必要はないのです。比較するなんて馬鹿げています

 

 


(「第6章 すでにあなたの中にある」つづく)