MBD 4.ジャズ

投稿者: | 2020年2月4日

ビクター・シルベスターのモダン・ボールルーム・ダンシングから「4.ジャズ」をお届けします。

第一章 歴史
4.ジャズ
Jazz

 

*印:「訳者のノート」参照。

 

し、人は元来野蛮であると同意されるなら、数えきれないくらいの何時代も前、私達に何の音楽もない時があったことでしょう。おびただしい年月が過ぎ、次第に自然なリズムが発生しました。足を踏み鳴らしたり、手を叩いたり、そしてドラムを叩くようなリズムが。

 

東洋と西洋は文明への進化を遂げつつ、より複雑な音楽を発達させましたが、アフリカの黒人はかなり異なるものを発達させました。彼らは音楽と踊りを、そして踊りと宗教を固く結びつけたのです。アフリカにおけるドラムは、形の上でも構造的にも西洋楽器総ての数より多種、かつ、複雑に変化しました。

 

本当のジャズは、何世紀にも渡りアフリカのジャングルという学校の中で(とても情感豊かで、批判的、かつ、繊細な耳をもつ黒人たちのもとで)最高の形に発達したものです。

 

アフリカの、とくに西アフリカ森林地帯の黒人達は最も高度に複雑化した宗教を持っており、数え切れないほどの神々に聖霊、タブー、それに祭事を覚えており、宗教の集いでは感情表現の手段としてダンスを用います。それぞれの部族は幾つかのダンスをセットとして持ち、一つ一つのダンスに独自のリズムを用い、一回に一種類の踊りを使います。季節により使い分けもしますが、一つ一つはとてもユニークで、二つとして同じ物はありません。部分としても同じものがないにも拘らず、全部を踊りきるのに4時間以上かかるものもあるのです。

 

ヨーロッパの人々は凡そ300年の間、西アフリカの奴隷商売に加担してきました。西洋人がもつ大規模組織を使い、かれらは何十万人もの黒人を、大西洋を越えて運搬する役を担いました。筆舌に尽くしがたい奴隷船の中での環境を生き延びた者たちは、新世界の白人主人のもとへと売られていきました。奴隷の所有者にはイギリス人やアングロサクソン系アメリカ人のみならず、フランス人、スペイン人、それにポルトガル人もいたことは知られています。この様にして、新世界においての黒人達は、奴隷の境遇にあったときも奴隷解放後も、異なる4つのヨーロッパ文化の影響下にあったのです。こうした多様な接触の結果は、ダンスを通して私たちの目に留まることになります。

 

アメリカに連れて行かれた黒人達は、アフリカで料理用鍋をつくったのと同じ土を、ドラムを作ったのと同じ木を探し、許可された範囲内でできる限り、かつての風習、宗教、そして祭事を取り戻しました。そうして新しいアフリカの創造に成功したのです。ただ一つ違うのは、新世界ではアフリカの総ての部族が一緒くたに放り込まれたのです。風習も祭事もダンスのリズムも、以前は何百、何千と、部族により分かれていたものが無差別に混ぜ合わされたのです。言葉によるコミュニケーションは行き詰まり、ヨーロッパの言語を使わなければならなくなりました。そして、黒人のジャズが各地に広まり始めたのでした。歴史上初めてのことです。

 

アメリカにおけるジャズの歴史は、4つのヨーロッパ人開拓者の影響を受けながら異なる道を辿りました。ポルトガルとスペインの開拓地ではヨーロッパ人と黒人間の結婚が多くあり、黒人のポルトガルやスペイン文化への適合が早まりました。彼らは古いスペインの丘歌*やフラメンコ、何世紀も前のセレナードの名残を聞き、自分たちの楽器で奏でたりしたのでした。彼らは古いスペインのダンスも踊ってみましたが、そうしたダンスの中にも黒人全体に浸透している鼓動するリズム(アフリカ部族伝統の遺産)をどんどん取り入れ、自分たちを元気づけたのでした。

 

いまや忘れ去られたソンやルンバなどの新しい踊りは、スペイン人の特色と気質がアフリカン・ジャズの力強い動きとリズムと合わさって生まれたのです。本来のルンバにはメロディーを除くあらゆるところに純粋な西アフリカのダンスが残っていますが、ある所ではスペインの要素が勝る所もあります。2拍半使って行なうルンバのダブル・ヒップ・ムーブメントは南ナイジェリアの一部族から伝わった、混じりけのない高度に複雑化したベーシック・ダンスのリズムです。

 

フランスの西インド保護領でも、同じく力強いダンスが発達しました。スペインやポルトガル領と同じく、黒人達はフランス人の支配下で可能な限り自分たちのアフリカ文化を再現しました。彼らは教会で歌われる美しい賛美歌を学習しては、自分たちの森の村で、自分たちの楽器や古いピアノ、軍隊のラッパなど集められるものを集めて模倣に励みました。そうして出てきた踊りが1931年、パリの植民地展覧会で突然現れ、ビギンはそれらの中でも最高のものでした。

 

北アフリカの黒人が持つダンスへの愛情と鋭い音楽センスは、初めからはっきり現れました。ラグタイムが出てくる更に前、南部の黒人はカウボーイの歌や、聖歌、水夫の舟歌、軽いオペラなどを、他の人たちも真似できない解釈の仕方で自分たちの物にしました。人の心を掻き立てるようにリズミカルにドラムを叩きますが、それはアフリカ人の魂として彼らの中に深く沁み込んでいるものの表れなのです。このようにして、白人はジャズの基本を知るようになりました。白人の中でもアングロサクソンの人たちが最初にジャズに気づいたと思われます。なぜなら彼らには、他の人たちにあるような男らしい踊りがなかったからです。

 

北アメリカの白人がジャズ音楽を知るようになってから、ジャズを伴うダンスの歴史はかわりました。様々な起源をもつダンスを取り入れ、それを舞台やキャバレーのアーチストがシンコペート・リズムに作り変え、更に複雑になりました。例えばタップ・ダンス(クロッグ・ダンスが変化したものでイギリス北部からもたらされた)やケーキ・ウォーク(南アフリカ)がそうです。また、ワン・ステップやその類のダンスにも変化は訪れました。

 

こうした複雑化が起きた背景には色々な理由があります。第一に、どのような集団でも感情を吐き出すダンスをなくしては長く存続しないことです。当時アングロサクソンや北アメリカの人にはそれが欠けていました。第二に、アメリカの国が若かったので、人々は何でも新しいものを熱心に取り入れようとしたことが挙げられます。第三に、これが最も重要な点ですが、白人はシンコペーションの初歩や黒人の歌を少しは学習したものの、黒人のダンスに関しては、わざと習おうとしなかったか、そこに習うことがある事にさえ全く気づかなかったかのどちらかでした。

 

実際、ジャズの発見でダンスの数が増えました。加えて、彼らの音楽は、(それまでシンコペーションの概念がなかったため)「シンコペーションしないものに対するシンコペーションするリズム」という形で分類され、独特の音楽が始まったのです。ツー・ステップやバニー・ハグ、それに類似したジャズの原始的な形がイギリスのボールルームに紹介され、踊りにはラグタイム・バンドが伴いました。黒人の嘆きがブルースと命名されたのは、この時期、こうした事がアメリカで起きていた時の事でした。

 

第1次大戦をきっかけに人々がレストランで踊るようになるまで、古いダンスはこのような初期のシンコペートしたダンスに徐々に置き換わりました。この現象がジャズの発達に弾みをつけたのです - ジャズの一大旋風が巻き起こったのです。戦時中でもイギリスの劇場ではたくさんのアメリカ人アーチストが見受けられ、ある程度のジャズへの理解が彼らを通じてこの国にもたらされました。

 

大戦が終わる頃には、ジャズの起源や本来の特徴は曖昧になり、その間にアメリカでは、舞台の上でもダンス・フロアの上でも、黒人と白人のダンスの溝がかなり深まっていたのでした。

 

白人はシンコペーションという目新しい経験しか得ませんでしたが、黒人は異なるリズム構成をベースとするダンスと音楽を、適度な複雑さに向けて前進させました。‘ストラット’、‘シャッフル’、‘ドラッグ’など白人が真似するダンスは、仰々しい名前だけが同じで、黒人のものとはまったく別物でした。白人と黒人社会の両方でブルースが使われるようになって始めて、本当の意味で、古い伝統との決別がきました。数年後にチャールストンが現れたとき、世の中は好意的ではありませんでしたが、1925年、新展望が開かれました。黒人と白人の共同作業が再開されたのです。その功績は殆ど一人の男によるものでした。ポール・ホワイトマンです。

 

この頃になると黒人以外のミュージシャンもジャズ演奏を学んでおり、ポール・ホワイトマンはジャズの曲をオーケストラ演奏すると言う革命を起こしたのです。それから1934年まで、黒人はダンスにおいてあらゆる斬新さを提供しましたが、それがゆえに社会的信用を得られたわけではなく、再び二の次扱いを受けたのでした。

 

ばかげた名前で新しいダンスが宣伝されても、殆ど世に知れず、跡形もなく消えてゆきました。全体的にみると、ジャズ・ダンスの影響をもち続けて生き残った僅かな例は、チャールストン、ブラック・ボトム、そしてルンバなどの黒人から出た踊りがあります。

 


(この項おわり)

 

 

 

「モダン・ボールルーム・ダンシング」
(ビクター・シルベスター著/神元誠・久子翻訳/白夜書房)
2005年12月出版
原書名:Modern Ballroom Dancing (Victor Silvester)

 

 

世界で60万部以上の販売実績を誇る、ボールルーム・ダンス本のトップセラー。1922年の第1回世界プロフェッショナル・ボールルーム・ダンス選手権のチャンピオン、ビクター・シルベスターがダンスの歴史を遡り、スタンダード・ダンスの起源と発達を語る。実習編では、初心者にも適した踊りから上級者向けまで詳しく解説。

 

ビクター・シルベスターは楽団を率いていたことでも有名ですし、同様に、ストリクト・テンポを確立した人としても名が知れ渡っています。私がダンスを始めた時にも、イギリスからビクター・シルベスター・グランド・オーケストラのLPを何枚も買い求めていましたので、そのように著名で偉大な人が書かれた本の翻訳をさせて頂く機会を得たことは、この上なく光栄でした。

 

神元誠・久子