ビクター・シルベスターのモダン・ボールルーム・ダンシングから。
改訂へよせて
兄クリストファーと私は幼年期をビクター・シルベスターと共に過ごしました。私達は彼を「おじいちゃん」と呼び、彼は近くのフラットにおばあちゃんのドロシーと住んでいたので、私が10才のとき彼が亡くなるまでほぼ毎日顔をあわせていました。
1978年、ビクターはコート・ダジュールのオーゲベルでの休暇中、海水浴をしていて死亡しました。彼のビジネス・パートナーだった私の父は、その時ビクターのオーケストラを8年続けていましたのでそのショックは深いものでした。それはおばあちゃんにとっても同じで、彼女は3年後の殆ど同じ日に他界しました。
彼の死亡記事がテレビで放映されたときは、とても驚きました。そしてそのとき初めて彼が有名人で、単に私のおじいちゃんでないことを知りました。
何にでも興味のある4才のとき、私は彼の足の上に乗りワルツやクイックの曲で踊ってもらったことがあります。今になり、もっとお話を聞いておけばよかった、もっと教えてもらっておけばよかったと思います。特に、かつてブームだったボールルーム・ダンスを、彼は誇りに思っていたでしょうから。
彼の存在は多くの人に意味をなしました。初代世界ボールルーム・ダンス・チャンピオン(1922年)に輝いただけでなく、受勲した戦争の英雄であり、ある時期において、どのアーチストよりもレコードの売上がすごかったときもありました。あのネルソン・マンデラ氏もおじいちゃんの音楽が彼を鼓舞したと手紙を寄せてくださいました。でも、私にはただのおじいちゃん - 自分のジョークで笑い、笑っては涙を流し、その揚句どこが面白かったかすっかり忘れてしまうような可愛いおじいちゃんだったのです。
父、ビクター・シルベスター・ジュニアは、おじいちゃんの特性を良く引き継いでおり、自分の仕事はビクター・シルベスター楽団のリーダーだと本気で思っていました。ステージの前に陣取る指揮者のポジションが大好きで、ことさらダンス競技会ではそうでした。会場一見晴らし良い場所と思っていたようです。父は1999年に他界し、楽団は歴史となってしまいましたが、そのすばらしい音楽を愛する世界中の人々のために、また、ボールルーム・ダンスに始めてストリクト・テンポを取り入れたその音楽で踊りたいと思っている世界中の人々のために、今日も演奏されています。
父はこの偉大な本を兄と私に残してくれました。この本は1947年の原版以来、殆ど改訂が行なわれませんでしたが、ビクターが亡くなってから長い時が過ぎ、楽団も記憶から薄れつつある中で、彼がダンスに注いできた事をいつまでも伝えてくれるでしょう。私達兄弟はこの本が再び出版され、とても嬉しく誇りに思います。そしてあのスロー、スロー、クイック、クイック、スローのダンスがまた流行してきた事も。
タラ・シルベスター 2005年1月
(この項おわり)
>>> 1 ふたつの技術の発達
「モダン・ボールルーム・ダンシング」
(ビクター・シルベスター著/神元誠・久子翻訳/白夜書房)
2005年12月出版
原書名:Modern Ballroom Dancing (Victor Silvester)
世界で60万部以上の販売実績を誇る、ボールルーム・ダンス本のトップセラー。1922年の第1回世界プロフェッショナル・ボールルーム・ダンス選手権のチャンピオン、ビクター・シルベスターがダンスの歴史を遡り、スタンダード・ダンスの起源と発達を語る。実習編では、初心者にも適した踊りから上級者向けまで詳しく解説。
ビクター・シルベスターは楽団を率いていたことでも有名ですし、同様に、ストリクト・テンポを確立した人としても名が知れ渡っています。私がダンスを始めた時にも、イギリスからビクター・シルベスター・グランド・オーケストラのLPを何枚も買い求めていましたので、そのように著名で偉大な人が書かれた本の翻訳をさせて頂く機会を得たことは、この上なく光栄でした。
神元誠・久子