MBD 5.1914年~1918年

投稿者: | 2020年2月4日

ビクター・シルベスターのモダン・ボールルーム・ダンシングから「5.1914年~1918年」をお届けします。

第一章 歴史 
5.1914年~1918年
1914 – 1918

 

*印:「訳者のノート」参照。

 

 

ンゴとボストンは、戦争が始まったとき既に終わりにあり、人々から完全に忘れ去られていました。ワルツも消えかけていましたが、ヘジテイションのスタイルは折り折りに踊られていました。高度にシンコペーションしたワン・ステップやラグは予想以上に持ちこたえていました。戦争が始まり一月ほど経ったとき、フォックストロットという初めて聞く名の踊りがボールルームで大人気になりました。その訳は簡単でした。

 

戦争が始まると、フランスやイギリスの訓練所から休暇で帰ってきた男達の娯楽で一番人気があったのはダンスでした。彼らの殆どは学校を終えたばかりの若者でダンス経験のないものばかりでしたが、彼らの年上の身内は、できる限り一緒に過ごしたいと考え、再びダンスを始めたのです。

 

若者達にワルツやタンゴの複雑なステップを覚える時間はありませんでしたが、フォックストロットの軽快な音楽とくだけた踊りの魅力に余りにも惹かれたため、この踊りは数ヶ月も経たない内に、ラグのみを残し、他の総ての踊りをフロアから追い出してしまったのでした。

 

フォックストロットがアメリカに初めて現れたのは1914年夏の事でした。それは前章で述べたように黒人のお陰でした。フォックストロットのダンスはワン・ステップやラグの直系子孫にあたります。大西洋の向こう側での流行傾向としては、‘キャンター’や‘トロット’を使うことでした。フォックストロットの先駆けとして前年に‘ホース・トロット’や‘フィッシュ・ウォーク’が流行っていました。

 

フォックストロットにはハリー・フォックスと言う、名付け親のヒーローがいます。彼はフォックストロットを始めて大衆娯楽の舞台に紹介した人の一人です。しかしフォックストロットの名は、馬のゲイトやペースのことをフォックストロットとして西洋では知られていた所からつけられたとする示唆もあり、この方がもっともらしいです。

 

フォックストロットのリズムの原型は黒人に由来し、二つ目のビートの後につなげられた音を持っています。白人のアメリカ人がこの踊りの虜になる前、ニュー・ヨークのアフリカ系アメリカ人たちが踊っていました。
フォックストロットが誕生してから数ヶ月間は、決まったルーティンのステップもない気ままに踊る踊りで、ステップは足のボールからつき、ばねのようにしていました。音はスロー(2拍)か、クイック(1拍)のどちらかです。例えばひとつのベーシック・ムーブメントは次のようなものでした - 「4歩スローで歩く(2小節)、次に4歩クイックで走り、8拍目で右足を左足後ろに置く」。

 

フォックストロットが入ってきたときの様子を知っておきましょう。その頃人気の高かったダンスはワン・ステップとヘジテイション・ワルツ、3番目にマシューシュで、タンゴは絶頂期を過ぎたばかりでした。フォックストロットにはこれと言ったステップがなかったため、あらゆるダンス関係者に連絡をとり、ムーブメントの提供を求めたのです。すると、一人の著名なダンス教師が次のような返事をしてきました。「ベーシック・ムーブメントの定義として二点のみ留意しましょう。一点目はスローのウォークで、1歩に対し2拍使う。二点目はトロット、あるいはランで、1歩に対し1拍です。これ以上のステップを教えようとする教師は想像力を生かしたり、タンゴ、マシューシュ、キャッスル・ウォーク、ワン・ステップなどからのステップを組み合わせたりすることでしょう」と。

 

イギリスにフォックストロットが入ってきた頃、1915年初めまでには、殆どのダンス会場でフォックストロットはほぼ定期的に演奏されるようになっていました。その年の5月位には、まさに最初の‘フォックストロット舞踏会と競技会’が開催されたのです。こうした刺激を得、それまでとても流動的な状態にあったフォックストロットは僅かに確立されたものになっていきました。スローのウォークとそれより速めのトロットは残り、バタフライというフィガーが人気を博し、トゥインクルが登場しました。奇妙なフィガーが束の間、世間受けしたこともあります。シャッセは多く使われ、進んで行くためと回転のための両方に用いられました。当時のテンポは1分間に32小節位でした。

 

このダンスが2年ほど続いた1916年も終わりの頃は、ダンサー達があらゆる種類のホップ、キック、それにケイパーなどを使い果たし、いささか飽きてしまい、気晴らしに大袈裟な表現を用いたりした頃でした。そこに、「この星空の下で」と言うとても心地よい音楽が大流行し、中和作用を起こしたのです。

 

この音楽に合わせて踊る滑らかなフォックストロットを、それまでのものと区別するため、ダンシング・タイムズは‘ソーンター’の名称を考案しました。この踊り方は多くの地域で流行り、そのお陰で奇をてらったステップは影を潜め、流れるように滑らかなフォックストロットの基盤ができたのでした。後にイギリスのダンサー達が有名になるのは、このおかげでした。

 

1917年とその翌年前半のボールルーム・ダンスは空白期でした。戦争も終わりかけた頃、当時オープンしていたイギリスのボールルームはアメリカ兵士で込み合い、これがフォックストロットの新しい局面となりました。

 

1917年の終わりにかけ、ジャズ音楽を始めて聞いたイギリスは、「シンコペーションの精神錯乱状態 … アフリカジャングルの驚くべきシンコペーションを再現する試み」と記述しています。この国では長い間、ジャズとは新しいダンスや新しいルーティンのステップと考えられていました。戦前の楽団は弦楽器をバンジョー、サックス、トラップ・ドラマーなどに入れ替え、ジャズバンドとして知られるようになりました。カドリール・バンドがカドリール以外も演奏していたことをすっかり忘れていた一般の人々は、こうしたオーケストラが何でもかんでもジャズで演奏すると思い込んでしまいました。

 

1918年秋にかけ、ディップやトゥインクルは廃れ、フォックストロットはますます滑らかなダンスへと発展して行く傾向にありました。

 

ジャズの音楽と共にフォックストロットに甚大な影響を及ぼす運命にあった新しいステップも入ってきました。それは、始めジャズ・ロールとして知られた踊りで、これがスリー・ステップの前身なのは疑う余地ありません。このムーブメントの基本はラグにも取り入れられ、4拍で3歩連続のステップをしました。また、前進では足を交差気味にし、スケーターが使う‘ダッチ・ロール’を変更したような形を作り出したのです。

(この項おわり)

 


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「モダン・ボールルーム・ダンシング」
(ビクター・シルベスター著/神元誠・久子翻訳/白夜書房)
2005年12月出版
原書名:Modern Ballroom Dancing (Victor Silvester)

 

 

世界で60万部以上の販売実績を誇る、ボールルーム・ダンス本のトップセラー。1922年の第1回世界プロフェッショナル・ボールルーム・ダンス選手権のチャンピオン、ビクター・シルベスターがダンスの歴史を遡り、スタンダード・ダンスの起源と発達を語る。実習編では、初心者にも適した踊りから上級者向けまで詳しく解説。

 

ビクター・シルベスターは楽団を率いていたことでも有名ですし、同様に、ストリクト・テンポを確立した人としても名が知れ渡っています。私がダンスを始めた時にも、イギリスからビクター・シルベスター・グランド・オーケストラのLPを何枚も買い求めていましたので、そのように著名で偉大な人が書かれた本の翻訳をさせて頂く機会を得たことは、この上なく光栄でした。

 

神元誠・久子